パブロ・ネルーダ──サンティアゴへ

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 サンティアゴへ

 一九二一年三月、ネルーダは教育学院でフランス語教師の課程をとる決意をかためて、夜汽車でサンティアゴに向かう。

  おお長い夜汽車よ
  たびたび 南から北へ
  濡れたポンチョや穀類や
  泥で固くなった長靴のあいだを
  三等車で おまえは
  地図をくりひろげて行った
  きっとそのときだ ぼくが
  大地のべージをめくり始め
  数キロの煙や沈黙のひろがりを知ったのは

  ぼくらはロータロを通り過ぎ
  柏の樹々や小麦畑を通り
  ……
  突然 明るい鉄のヴァイオリンのように繊細な
  マイエコの高い鉄橋が現われ
  それから夜になっても なお
  夜汽車は走り 走りつづける
  葡萄畑のあいだを
  
  世界はずっと穏やかになり
  うしろを振り返ってみると
  雨が降っていて
  ぼくの少年時代は消えうせていた
  汽車は金切声をあげて
  首都のサンティアゴ・デ・チリに入った
  そのときぼくは樹々を失ったのだ
  ……
  ぼくも儲けたり損をしたりする群衆の中に入り
  ぼくを迎えてくれないべッドに横たわって
  くたびれて根株のようにぐっすり眠った
  眼が覚めると
  雨の悲しい音を感じた
  何かがぼくをぼくの血からひき離した
  びくびくおびえながら街通りに出たとき
  ぼくから血が流れていたので 知ったのだ
  ぼくの根っこが断ち切られたことを   (「夜汽車」─『イスラ・ネグラの思い出』)

 ここには、夜汽車に乗って故郷のテムコからサンティアゴに出てきた一七歳のネルーダの離郷の思いが歌われている。テムコの森や樹々や雨との別離、故郷から「根っこが断ち切られた」という思いは、その身から「血が流れてい」るようにも思われた。しかし、ネルーダにおけるテムコの森や雨の原体験、原風景はむろん消えさることはなく、生涯ネルーダの心から離れることはなかった。それは、ずっと後年になってもくりかえしテムコの森や雨や、そこでの少年時代の思い出を詩にうたい、「回想録」に書いていることからもうかがわれる。……
 サンティァゴに着いたネルーダは、ひとまずマルーリ街五一三番地の下宿に落ちつく。
 「マルーリ街──わたしはバルコンに座って、毎日、日ぐれの断末魔の色を見ていた。空は緑と紅に飾られ、悲しげな郊外の家々の屋根は天の火事で不気味に染められていた。
 その数年間、学生下宿に住むことは、まったく死ぬような空腹をかかえていることだった。わたしは以前にもましてたくさん書いたが、ほんの少ししか食べなかった……」
 マルーリ街で見たたそがれ、タ映えは、一九二三年に刊行される詩集『たそがれ』へと結晶してゆく。

  それから わたしはサンティアゴに着いた
  ちょっとばかり霧や雨に濡れて
  なんという街通りだったろう
  ガスや煉瓦やコーヒーのひどい匂いのなかに
  二一年の流行がはびこっていた
  学生たちのあいだを わたしは何も分らずに通って行った
  自分のなかの壁を高くしながら
  自分の哀れな詩のなかに 失われた木の枝や
  水滴や 消えさった月を探しながら
  ……

  炎のなかで歌いながら
  わたしは大人の年頃になった
  みんながわたしを迎えてくれた
  わたしの仲間たちは 夜のもてなし役で
  わたしといっしょに居酒屋で歌った
  わたしは彼らのおかげで 優しさ以上のもの
  春以上のものをもらった……  (「旅の仲間たち」〈一九二一年〉─『大いなる歌』)

(この項おわり)

新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

森

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