ミゲル・リティン監督を歓迎することばを朗読

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戒厳令下の祖国チリに潜入したリティン監督の日本滞在

 九月九日、マイケル・ジャクソン来日で数百人の報道陣がつめかけていた成田空港に、ヒゲをたくわえた一人のチリ人が静かに降りたった。
 中南米映画界の指導的な監督、ミゲル・リティン氏(四五)。ノーベル賞作家G・ガルシア・マルケスがリティン監督の体験を聞き書きした『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書)の主人公だ。チリ人民連帯日本委員会を中心に栗原小巻さん、小林久三さん、山田洋次さんといった人たちによる歓迎実行委員会が彼を招いた。
 アジェンデ大統領をはじめ数千人が殺害され、数万人が逮捕、拷問、投獄された一九七三年九月のピノチェト将軍を先頭とする反革命軍事クーデターで人民連合政権が倒されて以降、リティン監督は十四年間祖国を追われている。一九八五年初めの六週間を除いて……。
 ピノチェト政権によって帰国を禁止されているリティン監督は、顔を変え、姿を変えてその六週間、祖国に潜入した。ヨーロッパの三つの撮影チームと、六つの国内レジスタンス映画チームの総監督としてこのとき彼が撮ったのが「チリに関する全記録」(邦題「戒厳令下チリ潜入記」)である。
 このドキュメンタリーは、リティン監督の来日を記念し各地で緊急上映された。上映会、歓迎集会は二十代、三十代の人たちを中心にどこも超満員だった。
 日本政府の招きでピノチェトが来日を策したとき、「われわれはピノチェトを歓迎しない」という詩で抗議の矢を放った大島博光氏は、今回「ミゲル・リティン監督を歓迎することば」を用意し、リティン氏を前に朗読した。

  ようこそ ミゲル・リティン監督
  ようこそ あなたは日本へやってきてくれました
  血ぬられたサンチャゴの映像(イメージ)をかかえて
  不屈な チリ人民の 怒りの声をたずさえて……

 過酷な弾圧を乗り越えて、チリ人民の反軍政のたたかいは八○年代に入って急速に前進している。集会でリティン監督が「共産党や革新的な社会党の幹部が、アンデス山脈を越えて次々と帰国し、弾圧覚悟で公然と活動を開始している」と報告すると、参加者は遠いチリに思いをよせ、熱烈な拍手を送った。
 「アジェンデの時代、私たちはこの手で空をつかもうとしたが、それはできなかった。しかし、遅かれ早かれ必ずできる。それは私たちの空だから。それは人民の空だから」──リティン監督の言葉だ。
 チリでは、アジェンデ政権のことを知らない青少年たちが、ピノチェトの軍事独裁に抗して自由と民主主義という「空」をその手につかむため、みずからを組織しはじめているという。
 リティン監督は二週間の滞在を終えて日本を去った。彼に接した日本の多くの青年たちも、チリ人民支援の最大の保障は、日本の政治を変革すること、という誓いを胸に、それぞれのたたかいの場、地域、職場、学園へ帰っていった。
    写真・酒井猛

(「グラフこんにちは」1987年11月号)

リティン監督


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