『パブロ・ネルーダ』あとがき

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 あとがき

 この春ごろ、『イル・ポスティーノ』(郵便配達人)というイタリア映画が封切られた。ネルーダ(フィリップ・ノワレ扮する)が──つまり共産党員詩人が主役の一人を演じる、めずらしい映画である。ヨーロッパに亡命中のネルーダはイタリアの小さな島に安住の地を求めてやってくる(じっさい、一九五一年、彼はイタリアのカプリ島に滞在している)。そして島の郵便配達人マリオ(マッシモ・トロイージ扮する)との交友が始まる。大詩人と素朴な若者との間の師弟としての友情、暗喩の講義による詩の手ほどき、画面にひびく詩と波の音、マリオの恋、共産党員となったマリオの死……すべてが美しい海を背景に詩情ゆたかに、繰りひろげられる。いわば、詩と友情と愛がこの映画のモチーフであり、素朴な若者が詩人にみちびかれて共産党員へと成長してゆく、これがこの映画の主題(テーマ)である(チリの作家アントニオ・スカルメタの原作では、物語は、チリの太平洋岸にあるネルーダの家「イスラ・ネグラ」で展開するが、映画では、舞台はイタリアの小さな島に移されている)。
 さて、この映画はたくさんのひとびとの支持を獲得して、ロングランを重ねたという。ソヴェト体制の崩壊後、反動側によって「社会主義」の破産が叫ばれているなかで、この映画が多くのひとびとの支持を得たことは極めて意味深い。氾濫する暴力、犯罪、虐殺の映画にうんざりした観衆にとって、この映画はいわば人間回復の場でもあったろう。そしてそれは、ネルーダをとおして、社会主義の精神、思想、詩芸術の力づよい生命力、魅力にみちた有効性が再確認されたということでもあろう。

 スペイン市民戦争の火と血のなかで書かれた『心のなかのスペイン』から、アメリカ大陸の歴史と闘いをうたった『大いなる歌』を経て、最後の悲壮な『チリ革命の賛歌』にいたるまで、ネルーダは一貫して人民のなかに立った、人民のたたかいの歌い手であった。その長い道のうえには、またたくさんの薔薇の花花、ヒナゲシの花花──愛の詩が敷かれている。かれは革命詩人としてよりは、むしろ愛の詩人として広い読者をもっているかも知れない。しかし、ネルーダにおいては、愛と革命とはひきはなしがたく結びついている。他者へのまなざし、思いやりなしには、愛もなければ、革命もないからである。

  そのためだ わたしがきみと連れだってここにいるのは
  何ものにもましてすばらしいチリのためだ

  太平洋のためだ 太平洋にいるすべての漁師たちのためだ
  鴬のような子どもたちのパンのためだ

  よき飲み友だちのためだ 女友だちのためだ
  すべての国の すべての人民のためだ

 軍部ファシストによるクーデターと闘いながら、詩人は無念にもたたかい倒れた。しかし、その力づよい直接的な詩は、世界じゅうの人びとに呼びかけ、ひとびとを励ましつづけるだろう。
       一九九六年十一月

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ネルーダ新書カバー

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