新しき詩のために(上)

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 新しき詩のために
                      大島博光

 私たちの世界は一変しつつある。それはまさに革命という言葉によってのみよく言いあらわされるような偉大な変化である。それは単に私たちの外部世界の変革ばかりでなく、私たちの内部世界までが変革されようとしているのである。昨日まで真理のように歌われていたものも、今日ではもう真理ではなくなっている。昨日まで美しいものと思われていたものも今はもう美しいものではなくなっている。昨日の善も今日の善ではない。全く世界は一変しつつある。私たちはこの偉大な変化にいかに驚いても驚きすぎるということはない。そうして驚きにつづいて、よくはっきりとこの変化に想いをいたし、新しい詩の出発をなすべき時である。

 昨日まで私たち詩人も真の自由をもったことはなかった。私たちの周囲にはただ無智と退廃ばかりが見られた。ほんとうの理想をかかげ、真理を歌おうとするものの唇は大きな影によって抑えつけられた。ひとびとは離れればなれに孤立し、互いに胸を開いて語りあうこともできなかった。ひとびとは互いに敵視しあい、互いに疑いあっていた。私たちは今こそ、それが何処に由来してるかをはっきり知らねばならない。それは虚偽と欺瞞と迷信によって構成された野蛮な國の悲しい暗い気候だったのである。

 昨日まで詩人たちは孤独を嘆きつつ、或いは孤独を誇りつつ、孤独に歌っていた。またその或るものは象牙の塔に隠れ、真の詩人たちの多くはいつか歌うことをやめ、沈黙してしまった。しかし、他方、戦中ほど虚偽と迷信の詩が多く書かれたことはなかった。それらは真実には詩でも何ものでもなかった。むしろ詩があのように汚され、あのように汚わしき暴力の奉仕に駆りたてられるたことはいまだかってなかったのみならず、マルスが歌うとき、ミュウズは黙するといわれるが、しかしミュウズはただに黙したばかりではなく、その多くの愛人たちをも奪いさられたのであった。私たちの仲間であった多くの若き詩人たちはもはや永遠に私たちのところへは帰って来いのである。詩神に捧げられるべきであった彼らの美しい胸は、無残にも暴虐なマルスの足にふみつぶされたのである。私たちは私たち詩人のペンの弱さを嘆きつつも、今やこれら戦線に散った私たちの美しき仲間の霊に謝罪しなければならぬ。そうして私たちは二度とかかる野蛮の支配を招かざるよう、私たちの弱いペンを躯って、勇敢に歌わねばならぬ。(つづく)

(『新詩人』1946年3月)

千曲川

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