ロルカの死を歌った詩人たち──没後四十周年に──(2)ネルーダ

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   ネルーダの悲歌

 フランコ・ファシストはその黒い出発にあたって、いち早くロルカを血祭りにあげた。ファシストがロルカを最初の犠牲に選んだのは偶然ではなかった。ロルカは、ファシズムとは相反する、自由の精神そのものだったからである。のちに内戦が激しくなった頃、ネルーダはパリに行って、スペイン人民戦線支援の集会で訴えている。
 「フェデリコ・ガルシーア・ロルカ! かれはギターのように大衆的であった。子どものように人民のように陽気であり、淋しがりやであり、奥ぶかくて明るかった。……かれらはまさにかれを選びだし、かれを銃殺しながら、かれの民族の心そのものを狙い撃とうとしたのだ。スペインを屈服させ、拷問にかけるため かれらはスペインのもっともかぐわしい香りを吹き散らし スペインスのもっとも熱烈な息吹きをおしつぶし スペインのもっとも不滅な笑いを断ち切る道を選んだ。……」(角川版「ネルーダ詩集」二八ページ)

 ネルーダは、親友ロルカの死の意味するものを、このようにただしく捉えているが、かれはまたその前に、「フェデリオ・ガルシア・ロルカへのオード」を書いているのである。

 もしも 野の一軒家で 恐怖にふるえて泣くことができたら
 もしも われとわが眼を抉りとって 食べることができたら
 ぼくはそうしただろう 喪服をきたオレンジの木が
 あげたようなきみの声のために
 きみの叫びながら迸りでた詩のために

 ……
 もしも 町の邸宅という邸宅を
 煤でまっ黒にし
 泣きわめきながら
 時計塔をぶちこわすことができたら
 それは きみの家に
 みんながやってくるのを見るためだ
 きみの家に
 ぶち割られたくちびるで 夏がやってくる
 断末魔のぼろをまとった たくさんの人たちがやってくる

 悲しい栄誉にかがやく かずかずの地区がやってくる
 死んだ鋤とひなげしたちがやってくる
 基掘り人と馬に乗った男たちがやってくる
 惑星と血のついた名刺がやってくる
 ……
 憎しみと棘をもった薔薇がやってくる
 黄いろっぽい船がやってくる
 風の日が子供をつれてやってくる
 ぼくがやってくる
 ぼくといっしょにオリヴェリオ ノラーがやってくる
 ヴィセンチ・アレキザンドル デリアがやってくる
 マルカ マルヴァ マリナ マリア・ルイサとラルコがやってくる
 ラ・ルビア ラファエル・ウガルチがやってくる
 コタポス ラファエル・アルベルティがやってくる
 カルロス べべ マノロ・アルトラギーレがやってくる
 モリナリがやってくる
 ロザレス コンチャ・メンデスがやってくる
 それからもう忘れたほかの人たちがやってくる

 さあ きみに花輪をささげよう
 元気で 喋のようだった若ものよ
 いつも自由な黒い稲妻のように
 純粋だった若ものよ
 ぼくらは語りあってきたが
 岩のあいだに だれもいない今 
 胸をわって話しあおう
 ありのままのきみを
 ありのままのぼくを
 もしも 詩が
 ひとをうるおす露となるためでないとすれば
 いったい なんの役にたつというのだろう?
 もしも むごい匕首(あいくち)がぼくらを探しまわっている
 この夜のために
 心臓をぶち抜かれた人間が死にかかっている
 この日のために このタぐれのために
 この崩れおちた片隅のために
 詩があるのでないとすれば
 いったい 詩はなんの役にたつというのだろう?

 ……
 フェデリコよ 見るがいい
 この世界を 街街を
 胸を刺すような光景を
 かずかずの別離や 石ころや レールのほか
 なんにもない処にむかって
 汽車が煙をあげていやおうなしに出てゆくときの
 あの駅での最後の別れを
 ……

 これが人生だ フェデリコよ
 ぼくが 血気さかんで憂鬱な男の友情として
 きみに差しだすことのできるのがこれだ
 きみはもうきみ自身のたくさんのことどもを知っている
 だんだんきみは ほかのひとたちのことをも知るだろう
             (角川版『ネルーダ詩集』一八ページ)

 ここには、まだモダニズムの影の濃い、しかし強烈で異常なイメージをとおして、ロルカの死にたいするネルーダの慟哭が鳴りひびいている。同時に、ファシズムの暴挙を目の前にして、モダニズムからレアリズムへ、革命的ヒュマニズムへと転換を始めたネルーダ自身の姿が現われている。「もしも詩が/ひとをうるおす露となるためでないとすれば/いったい なんの役にたつというのだろう?」──ネルーダはここで、きびしい現実を前にした詩人の任務をみずからにも問うているのである。

 ここで、当時のスペインにおける文学状況とそこでのロルカの位置について、ちょっとばかしふりかえってみよう。わたしは「赤旗」の小文につぎのように書いた。「一九三一年四月十二日の選挙において、スペインの左翼連合が勝利を博し、四月十四日、勝利を祝う民衆がマドリードの街頭を埋めた。アルフォンス十三世はついに王位を放棄し、ここに血を流すことなしに、スペイン共和国が生まれた。これにつづく数年は、スペイン交化、とりわけスペイン文学にとって、輝かしい開花の季節となった。ウナムノやマチャドの大家たち、あるいはファン・ラモン・ヒメネスのあとにつづいて、一群の若い詩人たちが登場してきた。ガルシーア・ロルカ、ペドロ・サリナ、ホルへ・ギジェン、ラファエル・アルベルティ、ホセ・ペルガミン、ルイス・セルヌーダ、マヌエル・アルトラギーレ、ミゲル・エルナンデス等々である。
 ロルカとその仲間たちの詩運動は、今世紀初頭におけるスペイン文学のルネッサンスをうけつぎ、また人民の勝利にはげまされて、たくましい創造力にみちあふれていた。このグループは、創造のためには互いに寛大さを発揮し、深い友情によって結ばれていた。なかでもロルカは、もっとも天賦の才にめぐまれ、みんなを愛し、みんなに愛されていた。かれの創作態度は、人民との交流を大事にし、思想的にも感情的にも人民ととけあうことにあった。こうしてかれはスペインの魂を再発見し、スペインの色をもう一度、白日のもとにとり出そうとした。ロルカが巡回劇団”バラッカ”を創立したのも、この精神においてであった。かれは、共和国時代の多くの学生をこの運動に参加させ、村むらをまわって、古いスペイン音楽を掘り起こし、古い芝居を上演した……
 しかし、開花を始めたばかりのこの新しいスペイン文学のルネッサンスは、フランコ・ファシストのクーデターによって突如として断ち切られ、壊滅させられたのだった。多くの詩人・作家が殺され、あるいは国外に亡命した。ミゲル・デ・ウナムノはサラマンクの家で監視され、<インテリなんかくたばれ!>というファシストの罵詈と暴行を浴びたのちに死んだ。いち早くロルカの死を悼んだマチャドも、一九三九年二月、ピレネーを越えてフランス領コルウールまで辿りついたが、そこで倒れ、そこに葬られた。人民戦線軍兵士として戦った、詩人ミゲル・エルナンデスは、ポルトガル国境でフランコ軍にとらえられ、オカニヤの牢獄で死んだ。そうしてフランコ・ファシスト軍との戦いで、百万人のスペイン人が死んだといわれる……」
(つづく)
(『民主文学』1976年11月号)

シェラネヴァダ
「シェラネヴァダ」安西良子さん撮影

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