ロルカの死を歌った詩人たち──没後四十周年に──(1)マチャド

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ロルカの死を歌った詩人たち──没後四十周年に──
                            大島博光

 有名なスペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカが、フランコ・ファシストの手によって銃殺されてから、この八月一九日で四〇年になる。そのロルカの死について、わたしは「赤旗」(八月二日付)に短い文章を書いた。 書くにあたって、わたしは手もとにあるロルカについての少しばかりの資料をあさって調べてみた。すると、多くの詩人が、ロルカの死をいたむ悲歌を書いていることがわかった。わたしの眼にふれただけでも、アントニオ・マチャド、ミゲル・エルナンデス、ラファエル・アルベルティ、ルイス・セルヌーダ等のスペインの詩人たちを始めとして、チリの詩人ネルーダの詩があり、フランスの詩人では、エリュアールとアラゴンが書いている。むろん、このほかにも、わたしの知らない多くの詩人が、ロルカの死について書いているにちがいない。わたしの眼にふれたそれらの詩をよんで、わたしは感動のあまり、ひとつひとつ訳出せずにはいられなかった。そこには、ガルシーア・ロルカの人がら、その詩的精神の高さ、ゆたかさ、およびその突然の死にたいする哀惜・慟哭・追慕が、それぞれの詩人の歌いぶりによって歌われ、期せずしてひとつの協奏曲をなすような観を呈していた。同時にまた、そこには、ガルシーア・ロルカの死のもつ、歴史的な叙事詩的な側面が、スペイン人民の怒りをこめて、歌われているのである。そこでそれらのいくつかの詩をここに掲げて紹介することにしよう。その前に、ロルカが銃殺された頃のスペインの状況をちょっとふりかえってみよう。
 一九三一年四月一二日の選挙において、共和制を支持する人民が勝利を博し、四月一四日、勝利を祝う民衆がマドリードの街頭を埋めた。アルフォンス一三世はついに王位を放棄し、ここにブルボン王朝は崩壊して、流血をみることなく平和のうちにスペイン共和国が生まれた。この偉大な夢の実現と未来への希望を、スペイン人民が歓喜をもって迎え、祝ったことは想像にかたくない。それにつづく数年は、スペイン文化、とりわけスペイン詩にとっては、輝かしい開花の季節となった。ミゲル・デ・ウナムノやアントニオ・マチャドらの大家たち、あるいはファン・ラモン・ヒメネスの世代につづいて、一群の若い詩人たちが登場してきた。フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、ペドロ・サリナ、ホルへ・ギジェン、ララァエル・アルベルティ、ホセ・ペルガミソ、ルイス・セルヌーダ、マヌェル・アルトラギーレ、等々である。この一群に、さらにチリの詩人ネルーダが加わる。一九三四年、すでに新進詩人の名声を抱いて、総領事としてマドリードに赴任したネルーダは、この若いスペイン詩壇に歓迎されて、かれらといっしょに詩誌「緑の馬」を出すことになる。やがてネルーダは、モダニズムの詩人から人民の詩人へと進み出てゆくことになるが、その大きな動機がファシズムとの出会いにあるばかりでなく、若いスペイン詩人たちとの友情とその影響にあることも忘れてはならないであろう。
 しかし春の日は長くはなかった。国際的反動とファシストたちは、若いスペイン共和国の隙をうかがい、おのれの出番を待っていた。一九三六年七月一八日、ヒットラーの爆撃機とムッソリーニの機甲部隊に支援された、ファシスト・フランコの反乱、クーデターが、スペイン人民のうえに襲いかかった。こうしてここに、三三ヶ月にわたるスペイン市民戦争の幕がきっておとされる。ロルカは、ちょうどその頃マドリードを出発して例年の旅行に出かけ、故郷のダラナダに立ち寄った。ダラナダはいち早くフランコ派によって占領され、ファシストは進歩的な人たちを捕えるために「黒組」を組織した。ロルカはこの罠におちて捕えられ、一九三六年八月一九日の未明、ダラナダ郊外、ピスナルのオリーブ畑で銃殺された。「ピストルによるよりもずっと大きな害悪をペンによって与えた」──というのが、その逮捕理由であったといわれる。アントニオ・マチャドはさっそくそれを詩にかいた。

 マチャドの悲歌

  虐殺はグラナダで行われた

   Ⅰ 虐殺

 かれは銃にかこまれ
 長い道をとぼとぼと歩き
 まだ星の残っている朝まだき
 寒い野っ原に姿を現わした
 やつらはフェデリコを殺した
 そのとき 朝日が昇った
 死刑執行人(ひとごろし)の一隊は
 かれをまともに見ることができなかった
 やつらはみな眼を閉じて祈った
 ──神さえも救えはしない!
 かれ フェデリコは倒れ 死んだ
 ──額から血を流し 腹のなかに鉛をぶち込まれて
 虐殺はグラナダで行われた──
 知ってるか?──哀れなグラナダよ
 フェデリコのグラナダよ

   Ⅱ 詩人と死神と

 かれは 死神の大鎌をも怖れずに
 彼女と二人きりで とぼとぼと歩いて行った
 ──すでに 塔という塔に陽が射し
 鍛冶屋の鉄床(かなどこ)という鉄床を
 鉄槌(かなづち)が打ちたたいた
 フェデリコが口をひらいて
 思いのたけを死神に打ち明けると
 彼女はじっとそれに耳を傾けていた
 「道連れの女よ すでにきのう おれの詩のなかには
 ひからびたきみの手のひらの音が鳴っていたのだから
 すでにきのう おれの詩のなかには
 そうして きみはおれの歌に
 あの凍えるような冷たさを与え
 きみの黄金の鎌の切れ味を
 わたしの芝居に添えてくれたのだから
 こんどは おれがきみに歌ってやろう
 もうきみのもっていない肉体を
 ぼんやりと 放心したようなきみの眼を
 風にゆれる きみの髪の毛を
 みんながくちづけする きみの赤い唇を……
 わが死神よ うつくしいジプシー女よ 
 ああ きのうのようにきょうも きみと二人きりで
 グラナダの わがグラナダの
 この大気を吸おうとは!」

   Ⅲ 

 とぼとぼと歩いてゆく二人の姿が見えた……
 
 友よ おれのために建ててくれ
 石と夢の墓を──アルハンブラに 
 詩人のために
 水のすすり泣く 泉のほとりに
 そうして永遠に伝えてくれ
 虐殺はグラナダで行われたと
 かれのふるさとグラナダで行われたと

 マチャドは叙事詩の単純さで、眼に見えるように書いている。第二節の「詩人と死神と」においては、あの大鎌をもった死の女神と詩人との道行きという一種のメタフォールをとおして、死地におもむく詩人の心境を描くと同時に、詩人の口をとおして死神に痛烈な皮肉を浴びせている。ロルカは詩や戯曲のなかで、よく死の問題をとり扱っており、わが国で上演されたことのある「血の婚礼」においても、死の影は運命のようにこの劇を支配している。これらのことをもじりながら、マチャドは死神に毒づいている。そして「虐殺がグラナダで行われた」ことを、この詩は永遠に告発しつづけるであろう。

(つづく)

(『民主文学』1976年11月)

アルハンブラ


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