レニングラード封鎖の中で鳴り響いた交響曲 ─ひのまどか「戦火のシンフォニー」(8)

ここでは、「レニングラード封鎖の中で鳴り響いた交響曲 ─ひのまどか「戦火のシンフォニー」(8)」 に関する記事を紹介しています。
幻の名演
 何をもって名演と呼ぶか?
 それは、演奏の現場に居合わせた人だけが、個々に判断すること。
 その演奏と自分の気持が一体となる瞬間がどのくらいあったか?
 その音楽が自分の心に一生忘れられない感動を刻んだか?
 演奏者がその音楽にどれだけ共鳴し、全身全霊を捧げて演奏したか?

 《交響曲第七番》レニングラード初演は、これまで数々の証言を通して紹介してきた音楽家たちによって行われた。親・兄弟姉妹、恋人、友人たちを砲爆撃で失った人たち。戦場で戦い、戦死した友の屍を乗り越え、自らも銃弾を浴びた人たち。町に残り、町を防衛し、爆死や凍死や餓死の極限状態からかろうじて生還した人たち……
 おそらく、作曲家が音符に込めた何倍、何十倍もの思いを演奏に託しただろう。だからといって、演奏が表現過剰になったり、アンサンブルが乱れたりしたとは思えない。ラジオ・シンフォニーはエリアスベルクの巧みで的確なコントロール下にあり、楽団員の大半はオーケストラに精通したベテラン奏者や、ソリストとしても活躍する名手たちだ。最後の二週間の集中リハーサルで磨かれた「芸術的仕上げ」とは、最高度の演奏技術と音楽性をもって作品の真髄に切り込む作業を意味する。
 しかしこの歴史的なレニングラード初演は、電力不足のため録音されなかった。その印象は人々の心の中にしか残らなかった。
 だからここでは、初演の場に立ち会った様々な分野、様々な立場の人々の証言を集めてみた。

<8人の証言を紹介>

 録音技師長、ベリャーエフ。後日の証言。
「戦後、私は《第七番》を優れた指揮者や優れたオーケストラで幾度も放送し、コンサートでも聴いた。しかし、一九四二年八月九日の、エリアスベルクの指揮によるあの演奏で味わった感動と比べられるものは、一つもなかった。
 あの時、あのコンサートに出席した人々は永久にその思い出を胸に刻むだろう。私の同僚たち、日々防衛や当直や爆撃の中で働いた同僚たちも同じ思いだ。私は幸いにもあの初演に参加し、ラジオでこの素晴らしい初演を伝えた人間であることを、誇りに思う」

 かくして、《第七番》レニングラード初演は、「幻の名演」となった。
(つづく)

19420809演奏
1942年8月9日。レニングラードラジオ委員会のオーケストラ。
グランド・フィルハーモニー・ホール。指揮カール・エリアスベルク
(http://il-canone.livejournal.com/211146.html)

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3011-1e0913fc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック