レニングラード封鎖の中で鳴り響いた交響曲 ─ひのまどか「戦火のシンフォニー」(3)

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11月、ラドガ湖が結氷し、氷上道路『命の道』が開通、トラック輸送が始まる。氷が厚くなり氷上道路が60本に増えると食料供給は安定した。最高司令官ジダーノフは栄養失調患者を救うために「スタツィオナール」(病院・施設)の開設を命じた。
3月の初め、市は活気を取り戻しつつあるのにラジオから聞こえるのは政府のプロパガンダとメトロノームの無機質な音だけ、音楽の消えた陰鬱な放送を聞いたジダーノフはラジオ委員会に電話した。「何でこんな陰気な雰囲気を作っている!何か音楽をやらんか!」彼のひと言はスターリンのひと言に等しい。ここからラジオ・シンフォニー復活への動きが始まる。
楽団員のうち27名が死亡、なんとか働けるのは16名しかいなかった。「生き残った音楽家は全員ラジオの家に来て登録して下さい」と毎日放送され、面接が行われた。軍人音楽家2名を迎え入れ、新生ラジオ・シンフォニーは40名の団員でスタート、4月5日、4ヶ月ぶりに公演を再開した。

1942年3月5日、交響曲第7番はクイビシェフのボリショイ・オペラ・バレエ劇場で、サモスード指揮ボリショイ劇場管弦楽団によって初演された。演奏に先立ち、ショスタコーヴィチが聴衆に向かって述べた。「私はこの交響曲第7番をファシズムに対する我々の闘争と、来るべき勝利と、そして私の故郷レニングラードに捧げます」
この演説と、続く初演の模様はラジオでソビエト全土、同盟国イギリスとアメリカに中継されたといわれるが、唯一中継されていない場所があった。放送が届いていない場所、レニングラードである。
(つづく)

戦火のシンフォニー

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