ネルーダ 愛の詩 百の愛のソネット(3)

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 『百の愛のソネット』は、朝、昼、多ぐれ、夜の四部から成っている。つまりそれは、愛の誕生から、青春、壮年、老年をへて、死にいたる過程を意味している。そこでは、いろいろな段階における愛がうたわれ、また、愛のほとんどあらゆる側面が弁証法的にとらえられている。こうして、それぞれのソネットは、それぞれ、愛のヴァリエーション(変奏曲)をなし、また一連のソネットは、おんなじひとつの主題をとりあつかうことによって、協奏曲ともなり、百のソネットぜんたいは、ひとつの大きな交響曲を形成することにもなる。
 このことは、内容においてそうであるばかりでなく、手法、表現の上からみても、そうである。それぞれのソネットは、韻律やリズムにおける自由さと多様さによって、それぞれ独立しており、独特である。そして、ソネット形式のおちいりがちな単調さは、言葉の多彩さ、比喩、暗喩、象徴的手法の豊かさによって克服されている。また、讃嘆すべき単純素朴な表現から、洗練されたレトリック(修辞法)にいたるまでの、表現の多様さによって克服されているのである。

 二番めのソネットは、「朝」のういういしさ、春先の悩ましさをこううたっている。

   恋びとよ くちづけに辿りつくまでのなんという長い道
   おまえと一緒になるまでの さまよっていたひとりぼっち
   孤独な汽車は 雨といっしょに走りつづけていた
   タルタルに 春はまだ やってこなかった
              (角川版『ネルーダ詩集』より)

 「孤独な汽車」のように長い道を走りつづけ、さまよっていた若者は、いまようやく「くちづけに辿り」ついたのである。そのよろこび、それまでの悩ましさが、きわめて直接的に、リリカルに歌われている。愛にたどりついたというかわりに、「くちづけ」にたどりついたという表現には、ネルーダらしい直接性と感覚とが見られる。そして詩人は、つぎのように歌うことも忘れていない。

   おれたちはひたむきに愛しあわねばならなかった
   大地や 男たち女たち みんなと溶けあって──
   大地に根づいてこそ カーネーションは育つのだ

 つまり、愛を、みんなから遠く離れた、ただ二人だけの世界に閉じこめてはならない、ひろい大地に愛も根づかせねばならない、といっているのである。カーネーションは、いうまでもなく愛の象徴である。
(つづく)

<『愛と革命の詩人ネルーダ』>

ソネット

ブルーベリー


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