『エルザの狂人』
四二五頁に及ぶ尨大な詩篇『エルザの狂人』は、一四九〇年から一四九五年にいたるグラナダ王国の没落に瀕した時期をうたっている。八世紀頃よりスペインを征服したイスラムの勢力も、キリスト教諸王国の国土回復運動によって、次第に土地を奪還されてゆき、十五世紀末、最後に残ったグラナダ王国も、ついにキリスト教王国によって滅ぼされる。グラナダ最後の王は、モハメッド十一世、ボアブディルである。この詩をかく前に、アラゴンはアラブの文化、その風俗、アラブの詩およびペルシャの詩、アラビア語などを研究し、スペインのアンダルシーアにまで出かけている。
「エルザの狂人」という題名は、つぎのようなアラブの物語から由来している。すなわち、ケイス・イブン・アミル・アンナジジという男が、美女レイラを熱愛しており、レイラもかれを愛し、かれの妻となることを約束する。しかし、レイラの父親はこの結婚をゆるさない。こうしてケイスは悲嘆のあまり、放浪生活をおくり、吟遊詩人となって、レイラヘの愛を歌いつづける。こうしてケイスは「レイラの狂人」と呼ばれる。この主題は多くの作家によってくりかえし取りあげられるが、グラナダの没落する八年前、ペルシャの詩人ジャミの書いた『レイラの狂人』が、もっとも美しい歌として残っている。──この物語は、「エルザの狂人」という題名を作者に提供したばかりでなく、恐らく、この尨大な詩そのものの発想の源泉となっているのかも知れない。サドゥールも「吟遊詩人の叙事詩、中世の騎士道恋愛詩の源泉の追求が、アラゴンを、ボアブディル王の時代のグラナダにみちびいたのではなかろうか」と言っている。
アラブの恋愛詩が、フランス中世の騎士道恋愛詩に影響を与えた点について、シャルル・ペラはその『アラブの言語と文学』のなかで書いている。
「大ざっぱに言って、アラブの恋愛詩人の作品は、貞淑に愛したただひとりの女性にささげられている。詩人は、あらゆるアラブ人の愛と同様に不幸な自分の愛をうたい、じぶんの魂の苦しみ、絶望、苦悩を表現している。これらの詩人たちの多くは、そのうえ、狂人となる・・・」
「興味ぶかいのは、この貞潔な愛、恐らくギリシャから受けついだこのプラトニックな愛が、古典的な主題となって、神秘的でロマネスクな作品を書かせる源泉となった。ついでそれは、スペインに受けつがれ、そこからわがフランス中世紀の騎士道恋愛詩にきわめて確実に影響を与えたのである。・・・これらの恋愛詩人たちの或る者は、コタイールやジャミラのように、歴史的な実在人物であったが、その他のある者、とくに、「レイラの狂人」と呼ばれたケイスなどは、物語の人物である・・・」
また、十一世紀のアラブのもっとも著名な詩人であり、歴史家であり、モラリストであったイブン・ハジム(九九四年-一〇六四年〕も、愛の生成と発展、その本性、嫉妬、愛における誠実さ、貞潔などについて書き、愛の詩も書いている。かれは青年時代に、ヌムという娘を熱烈に愛する。かれはその書『トークT'awq』のなかで書く。
「わたしは、彼女のそばにいる時のような真の幸福を味わったことはかってなかった。どうしても彼女を忘れることはできなかった。女と、こんなに深い結びつきを覚えたことはかってなかった。彼女への愛は、それまでのわたしのすべての愛を忘れさせ、その後のすべての愛をも色褪せたものにした。わたしは彼女を歌った詩から引用しよう。
「・・・彼女はさしのぼる太陽のように輝いている。彼女にくらべれば、ほかの女たちはみな星でしかない」
「彼女への愛は、わたしの心をまるで鳥のように胸の外へ飛び立たせ・・・わたしの心はあちらこちらと飛びまわる・・・」
「わたしは自分の希望をしっかりと抱きしめていることができなかった。おまえがそんなに希望を与えてくれたので、わたしはもう希望などを気にしなくなった・・・」(『トーク』)
このイブン・ハジムと、その愛の思想なども、『エルザの狂人』のなかに歌われると同時に、そのこだまは、つぎのような詩に見いだされるようである。
幸いなるかな その者は
おのが愛以外の歌には つんぼとなり
おのが太陽以外の太陽には めくらとなり
閉じた眼を ただきみにだけ向ける者は
愛して死ぬ者は 幸いなるかな
その者は.悶え苦しんで死んでゆくにもせよ
.きみなしでは この世はまやかしに過ぎぬ
この世がきみの色あいをもつためには
きみの名を呼ぶだけで こと足りた
愛して死ぬ者は 幸いなるかな
『火』や『もぐり込んでゆくもの』においては、詩人はおのれの死や死後について、その円熟した詩法を駆使して、詩的なファンタジーをくりひろげている。
せめて苔むした掌(たなぞこ)で 雪どけ水でも飲んでいよう
土の重みにおしつぶされた すみれの花の
ほのかな香りに酔って わたしの足は千鳥足
『火』
などの枯淡な詩句は、なんとわが日本詩歌の「寂び」の境地にも相通じていることだろう。だが、『火』の主題が、むろん死の瞑想における「寂び」にあるのではなく、つぎの詩句に見られるような未来への委託と希望にあることは明らかである。
もしもそこに エルザの名がなお輝いているなら
もしもそこに 愛の言葉がなお熱く燃えているなら
わたしは わたしに似た人たちの中に生れ変わる
この長大な詩のなかで、作者アラゴンは、アラブの伝説の吟遊詩人ケイス──あのメジヌーンに自己を托し、かれの口をとおして自分のファンタジーや思想をうたっている。
ここでは善と悪、戦争と平和、社会とユートピア、真実と偽善、愛と神、過去と未来などの主題が追求され、人間の意義、人間の悲劇、人類の未来について、情熱的な考察が与えられる。また、あのメジヌーンの口をとおして、エルザへの愛が抒情をもって歌われる。ここで歌われている「未来のエルザ」も、むろん詩人の妻であるエルザ・トリオレそのひとにほかならない。
とにかく、こんにちの人間存在そのものの意義について予言的に歌っているこの尨大な詩は、アラゴンの到達した詩的な高みを示すと同時に、未来への偉大な委託の書であり、勝利の書であるということができる。ここにそれを詳述する余裕がないのは残念である。それには優に部厚な研究書が必要である。シヤルル・アローシュは二九八頁に及ぶ研究書『エルザの狂人とアラゴンの作品における愛の観念』をこの詩にささげている。ジャン・シェルの『アラゴン──愛のレアリスム』も、この『エルザの狂人』を主要の対象として扱っているのである。
<『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』(1971年)より>
四二五頁に及ぶ尨大な詩篇『エルザの狂人』は、一四九〇年から一四九五年にいたるグラナダ王国の没落に瀕した時期をうたっている。八世紀頃よりスペインを征服したイスラムの勢力も、キリスト教諸王国の国土回復運動によって、次第に土地を奪還されてゆき、十五世紀末、最後に残ったグラナダ王国も、ついにキリスト教王国によって滅ぼされる。グラナダ最後の王は、モハメッド十一世、ボアブディルである。この詩をかく前に、アラゴンはアラブの文化、その風俗、アラブの詩およびペルシャの詩、アラビア語などを研究し、スペインのアンダルシーアにまで出かけている。
「エルザの狂人」という題名は、つぎのようなアラブの物語から由来している。すなわち、ケイス・イブン・アミル・アンナジジという男が、美女レイラを熱愛しており、レイラもかれを愛し、かれの妻となることを約束する。しかし、レイラの父親はこの結婚をゆるさない。こうしてケイスは悲嘆のあまり、放浪生活をおくり、吟遊詩人となって、レイラヘの愛を歌いつづける。こうしてケイスは「レイラの狂人」と呼ばれる。この主題は多くの作家によってくりかえし取りあげられるが、グラナダの没落する八年前、ペルシャの詩人ジャミの書いた『レイラの狂人』が、もっとも美しい歌として残っている。──この物語は、「エルザの狂人」という題名を作者に提供したばかりでなく、恐らく、この尨大な詩そのものの発想の源泉となっているのかも知れない。サドゥールも「吟遊詩人の叙事詩、中世の騎士道恋愛詩の源泉の追求が、アラゴンを、ボアブディル王の時代のグラナダにみちびいたのではなかろうか」と言っている。
アラブの恋愛詩が、フランス中世の騎士道恋愛詩に影響を与えた点について、シャルル・ペラはその『アラブの言語と文学』のなかで書いている。
「大ざっぱに言って、アラブの恋愛詩人の作品は、貞淑に愛したただひとりの女性にささげられている。詩人は、あらゆるアラブ人の愛と同様に不幸な自分の愛をうたい、じぶんの魂の苦しみ、絶望、苦悩を表現している。これらの詩人たちの多くは、そのうえ、狂人となる・・・」
「興味ぶかいのは、この貞潔な愛、恐らくギリシャから受けついだこのプラトニックな愛が、古典的な主題となって、神秘的でロマネスクな作品を書かせる源泉となった。ついでそれは、スペインに受けつがれ、そこからわがフランス中世紀の騎士道恋愛詩にきわめて確実に影響を与えたのである。・・・これらの恋愛詩人たちの或る者は、コタイールやジャミラのように、歴史的な実在人物であったが、その他のある者、とくに、「レイラの狂人」と呼ばれたケイスなどは、物語の人物である・・・」
また、十一世紀のアラブのもっとも著名な詩人であり、歴史家であり、モラリストであったイブン・ハジム(九九四年-一〇六四年〕も、愛の生成と発展、その本性、嫉妬、愛における誠実さ、貞潔などについて書き、愛の詩も書いている。かれは青年時代に、ヌムという娘を熱烈に愛する。かれはその書『トークT'awq』のなかで書く。
「わたしは、彼女のそばにいる時のような真の幸福を味わったことはかってなかった。どうしても彼女を忘れることはできなかった。女と、こんなに深い結びつきを覚えたことはかってなかった。彼女への愛は、それまでのわたしのすべての愛を忘れさせ、その後のすべての愛をも色褪せたものにした。わたしは彼女を歌った詩から引用しよう。
「・・・彼女はさしのぼる太陽のように輝いている。彼女にくらべれば、ほかの女たちはみな星でしかない」
「彼女への愛は、わたしの心をまるで鳥のように胸の外へ飛び立たせ・・・わたしの心はあちらこちらと飛びまわる・・・」
「わたしは自分の希望をしっかりと抱きしめていることができなかった。おまえがそんなに希望を与えてくれたので、わたしはもう希望などを気にしなくなった・・・」(『トーク』)
このイブン・ハジムと、その愛の思想なども、『エルザの狂人』のなかに歌われると同時に、そのこだまは、つぎのような詩に見いだされるようである。
幸いなるかな その者は
おのが愛以外の歌には つんぼとなり
おのが太陽以外の太陽には めくらとなり
閉じた眼を ただきみにだけ向ける者は
愛して死ぬ者は 幸いなるかな
その者は.悶え苦しんで死んでゆくにもせよ
.きみなしでは この世はまやかしに過ぎぬ
この世がきみの色あいをもつためには
きみの名を呼ぶだけで こと足りた
愛して死ぬ者は 幸いなるかな
『火』や『もぐり込んでゆくもの』においては、詩人はおのれの死や死後について、その円熟した詩法を駆使して、詩的なファンタジーをくりひろげている。
せめて苔むした掌(たなぞこ)で 雪どけ水でも飲んでいよう
土の重みにおしつぶされた すみれの花の
ほのかな香りに酔って わたしの足は千鳥足
『火』
などの枯淡な詩句は、なんとわが日本詩歌の「寂び」の境地にも相通じていることだろう。だが、『火』の主題が、むろん死の瞑想における「寂び」にあるのではなく、つぎの詩句に見られるような未来への委託と希望にあることは明らかである。
もしもそこに エルザの名がなお輝いているなら
もしもそこに 愛の言葉がなお熱く燃えているなら
わたしは わたしに似た人たちの中に生れ変わる
この長大な詩のなかで、作者アラゴンは、アラブの伝説の吟遊詩人ケイス──あのメジヌーンに自己を托し、かれの口をとおして自分のファンタジーや思想をうたっている。
ここでは善と悪、戦争と平和、社会とユートピア、真実と偽善、愛と神、過去と未来などの主題が追求され、人間の意義、人間の悲劇、人類の未来について、情熱的な考察が与えられる。また、あのメジヌーンの口をとおして、エルザへの愛が抒情をもって歌われる。ここで歌われている「未来のエルザ」も、むろん詩人の妻であるエルザ・トリオレそのひとにほかならない。
とにかく、こんにちの人間存在そのものの意義について予言的に歌っているこの尨大な詩は、アラゴンの到達した詩的な高みを示すと同時に、未来への偉大な委託の書であり、勝利の書であるということができる。ここにそれを詳述する余裕がないのは残念である。それには優に部厚な研究書が必要である。シヤルル・アローシュは二九八頁に及ぶ研究書『エルザの狂人とアラゴンの作品における愛の観念』をこの詩にささげている。ジャン・シェルの『アラゴン──愛のレアリスム』も、この『エルザの狂人』を主要の対象として扱っているのである。
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