フランスの詩壇について

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  フランスの詩壇について 
                          大島博光

 フランスの詩壇について書けという編集部からの注文であるが、まだむこうの雑誌も新聞もはいらないので、くわしく知ることができないがほんのわずかな資料から、フランス詩壇の動向をうかがってみよう。

 ソヴェートの作家、イリヤ・エレンブルグは一昨年の夏、アメリカを訪問して帰国したのち、こんどはフランス視察にでかけた。そうして、戦後のフランス文化の動向について、イズベスチャ紙につぎのように書いている。

 「流行をおって、上流の粋をきどる紳士仲まにとって、世界の中心をなすものは、サン・ジェルメン街であり、そこにある二つのカフェーである。その一つ、カフェー「ド・マゴ」には、頭に霜をいただいたシュルレアリスト(超現実主義者)たちがその余命を終らんとしており、そのとなりのカフェー「フロール」では、シュルレアリストの敵である「実存主義者」たちがとぐろをまいている。世界は実存主義者サルトルの冷笑、超現実主義者ブルトンのくしゃみ、コクトオの善良なまなざしに、ふるいつきたいような衝動をおぼえると見る連中がある。ところが、こんなことはみんな時代さくごであり、過去の変態的な現象にすぎないのだ。思想・文化のよき代表者たちは、あたらしい生活の建設者である労働者階級にうつっているのだ。大學者ランジエヴェン、ジョリオ・キューリー、大詩人アラゴン、エリュアル、大画家ピカソ、マルケを見よ。これらがフランス精神のよき伝統者であり、革新者であることを否定することはできない。彼らは、生きた生活をはなれて生きた芸術はなく、生きた生活をつくるものは、生きた國民、生きた階級であることを理解しているのだ。
 精神的に青春の香りをうしなっているブルジョア社会の青年たちは、サルトルの「実存主義」を愛しているが、サルトルは、才能あるそうめいな作家で、悪をみるけれども、この悪の根本を見ず、この悪を克服するすべを知らない。無為徒食のひとびとの憂愁をえがくときは、誠実で力づよいが、哲学を論ずると、まるで子供か、もうろくした老人のたわごと同然になってしまう。
 フランス芸術のよき代表者たちは、生きた生活と手をにぎるようになった。アラゴン、エリュアル、シヤンソンなどの大家や、ガリ、バイヤンなどの新人の作品を、戦前のものとくらべるとき、どんなにその複雑深遠な芸術が、より一段と組織的となり、より一段と大衆的になっているかがわかろう。
 われわれのまえには、明るい生活を確信するボンナールやマチスの絵があり、とくに老いてなお若々しい精神の持主たるマルケの最近作「窓」という一連の絵がある。そこには、真夏の正午の荘ごんさがひしひしと感じられる。
 フランスの運命は、美しいセーヌやローヌ河ではなく、ゆたかな水をみなぎらせてながれるアール河のように、新しい文化へ約束づけられている」(一月一日附人民新聞)

 この一文のなかで、エレンブルグが「余命を終らんとしている、シュルレアリスト」と、労働者階級のがわに立ち、「生きた生活と手をにぎるようになった」アラゴンとエリュアルとを対比しているのは、おもしろい。このほか、フランス詩壇の復興に活躍している詩人には、ビェール・ジャン・ジューヴ、ジャン・カッスウ、アンリ・ミショウなどがある。画壇のほうでも、すでにシュルレアリスムは、ほとんど消滅して、ピカソの流れをくむ「十一人組」という若い新人のグループがあらわれてきているとのことだから、おそらく詩壇の方でも、多くの新人があらわれてきているにちがいない。

 フランス詩壇で、いちばん活動している詩人は、やはりアラゴンである。彼は戦争ちゅうも、フランスを占領していたドイツ軍に抗戦をつづけ、詩作によってフランス國民を鼓舞げきれいし、抗戦作家の組織である全國作家委員曾をつくって活躍した。この戦争ちゅうの作品の一部が、一九四五年マルコルム・カウリイによって、米国でほんやく出版された。

 アラゴンとエリュアルは、いずれもシュルレアリストから共産主義者になった詩人だ。そうして二人ともブルジョア階級出身のインテリゲンチャであることもおもしろい。彼らは、第二次大戦後、ロマンチックな反抗、みにくいブルジョア社会と文化にたいするアナーキーな反抗をシュルレアリストとしてあらわしたのであったが、しかしそれは、現実から出発した反抗ではなく、超現実という指定された現実へたち向うイデアリストの反抗であった。しかし、一九三〇年前後より、ファシズムの攻勢と脅威が高まり、文化の危機がせまるにつれて、シュルレアリストたちも政治的にめざめざるをえなかった。すなわちアラゴンはいままでの彼のロマンチックな反抗、アナーキーな反抗が、究極において、いかなる同盟軍とむすび、いかなる闘争に加わるべきであるかを見出すにいたったのだ。それは、いうまでもなく、明日をになう階級──労働者階級の側に立つことであり、その日常闘争に加わることである。

 シュルレアリストの陣営で、政治的態度の問題がさかんに論議されたのもその頃である。ブルトンもよくマルクスとレーニンを引用して、シュルレアリストの政治的立場を論じたが、さきほどのエレンブルグの報道によれば、ブルトンはとうとうシュルレアリストとしてとどまったようであるが、アラゴンは、はっきりと共産主義者に転じたのであった。彼は一九三〇年ソヴェートを訪問して、社会主義建設をまのあたりに見て、革命への讃歌をうたった。彼はその詩においてもいちはやくシュルレアリスト的手法をあざやかに清算して、レアリストの立場をとっている。しかし、アラゴンのこの変わり方のかげには、血のにじむような自己批判と、ながいあいだの自己の教育と、自己変革のたたかいが秘められている。
 これにたいして、同じくコンミュニストになったエリュアルの方は、徐々にシュルレアリストからコンミュニストへ変わってゆくという態度をとっている。強いシュルレアリスト的手法で、ファシストにたいするブルジョア的なものが強く残っているようであるが、あるいは、それがフランス人民戦線のはばのひろさとともに、フランス文化の高さをものがたっているのかも知れない。手法はとにかく、そこに歌われているファシストへの階級的憎悪、人間的憎悪はひじように強烈なものだ。ひとつ訳してみよう。

 用心するがいい、
 たくらみにみちた夜にもかかわらず
 われらの力は強いのだ
 君らの姉妹や妻女の腹よりもつよいのだ
 そうして彼女らなしに
 ふたたびわれらは、生れ出てくるだろう
 君らの牢獄のなかから

 石の流れ、泡だつ耕地
 そこに遺恨なき眼はただよう
 希望なき正しい眼は
 君らをはっきりと見わけるのだ
 そして君らは、その眼を知らないよりは
 むしろえぐりとらればならないだろう

 君らの絞首台よりもするどい釣針をもって
 われらは、われらの幸福を奪いとるだろう
 幸福のあるべき場所に幸福を、
           (壁にぶつけられた頭)

               (『新詩人』1947年11月)

アラゴン
ルイ・アラゴン オラドールにて 1949年

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