ロワ・マッソン(下)

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 ロワ・マッソンはカトリックの左派であった。「神を信じたものも信じなかったものも」ともにたたかったレジスタンスの共同闘争に、かれほどマッチしたものはいない。かれは神を信じていた。教会の態度にかれは深い嫌悪をいだいていたとはいえ、やはりキリストを信じていた。そうして人間を信頼すると同様に、かれは共産党の同志たちを信頼していた。そこに矛盾はなかった。かれは遠い島からやってきて、突如としてフランス人のあいだに身をおいた。こうしてきわめて自然に、フランス人との友愛、同志愛がかれには必要であった。一方、占領下で苦しんでいるフランスもかれを必要とした。ここに、レジスタンスに参加したキリスト者のひとつの典型がある。レジスタンスにおける、このキリスト者と共産党員との兄弟的な協力の必要を、マッソンは身をもって感じとり、そこに参加し、フランスの歴史の血に染まったこの栄光のページにおのれを結びつけ、そのたたかいを歌ったのである。
 一九三四年、エリュアールは非合法出版によるアンソロジー『詩人の栄光』を編集することになった。そのときかれは、アラゴンのすすめにしたがって、キリスト者のロワ・マッソンとピエール・エマニュエルにも参加を要請したのであった。
 一九四四年の『ポエジー四四』に、マッソンは「自由を失った男の哀歌」を書く。

  わたしはもう歩きまわれぬ わが祖国(くに)の麦畑を
  わたしはもう刈りとれぬ 馬にやるからす麦を
  わたしはもう眺められぬ 雛に餌をはこぶ燕を

  屋根のへりにまで 沈黙は大きくふくれ上がった

  ああ!四十雀(しじゅうから)やうぐいすたちが 飛んでゆく
  やつらはわたしの花冠を一皿の青豆とひきかえに売ってしまった
  やつらはわたしの緋の衣を豚に投げあたえてしまった
  ……

 マッソンの詩には、フランス文化の伝統にぞくさない、遠くて深いところからやってきたあるものがある。それは、生まれ故郷モーリス島の湿ったモンスーン(季節風)から抜けることのできない素朴さと野性である。かれには、人間同士のあいだの融合が必要であっただけでなく、人間と自然との融合、人間と神との融合──いやむしろ人間とキリストとの融合が必要であった。キリストはかれにとって、神が人間の姿をとったものであると同時に、人間が神の姿をとったものであった。

<レジスタンスと詩人たち─第三章 レジスタンスの勝利>

教会
土井ノ浦教会(大島秋光撮影)


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