ロワ・マッソン(上)

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レジスタンスにおけるキリスト者・詩人たち

ロワ・マッソン


 大戦前夜の一九三九年のある晴れた朝、詩人ロワ・マッソンは、インド洋のモーリス島(当時は仏領)からフランスにやってきた。生きてゆくために、外人部隊に入隊するほかなかった。まもなくフランスは敗れ、ドイツ軍の占領がはじまった。除隊後、かれはヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンにやってきて、詩人ピエル・セゲールスと知りあい、詩誌『ボエジー』の協力者となる。
 その頃のロワ・マッソンの肖像を、クロード・ロワはつぎのように描いている。
 「かれは詩人らしい詩人のひとりで、灰色をしていた。わるいざら紙のような灰色であり、腹べこのときの灰色であり、蒼みがかった灰色であった。かれはrの音を発音することができず、子供の眼をしていた。かれは天からわれわれのところに落ちてきた。それがロワ・マッソンであった。……」
 かれはヴィルヌーヴで多くの詩をかき、『エスプリ』(精神)、『コンフルアンス』、スイスの『フォンテーヌ』(泉)などの雑誌に発表した。一九四一年、かれは「集団避難のノートル・ダム」を『エスプリ』誌にかく。

 聖母(おんはは)よ この殺戮という献納をおうけとりください
 八つ裂きにされた女たち 血にまみれた壕
 永遠に消えうせたたくさんの子供たち
 空家のように腹をえぐりとられた たくさんの死体……
 ごらんください 畑のあぜに並んでいる
 十字架もない たくさんの土まんじゅうを
 霧のしなやかな指のしたで
 それは 数殊玉のつらなりとなるのです
 ……
 聖母(おんはは)よ へロデ王は不死身です
 わたしたちのために祈ってください
 ……)

<『レジスタンスと詩人たち』─第三章 レジスタンスの勝利>

マッソン
Loys Masson


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