「パリ戦争の歌」(下)

ここでは、「「パリ戦争の歌」(下)」 に関する記事を紹介しています。


パリ戦争
パリ戦争



バリケード
タンブル街のバリケード

  (新日本新書『ランボオ』)
 さて、われらの主人公ランボオをシャルルヴィルにそっと置いておいて、激動の五月のパリをちょっとばかりのぞいてみよう。また同時代のほかの詩人たちの動きなどにも一瞥を投げてみよう。そうすれば、ランボオの位置もはっきりと見えてくるだろう。
 パリでは、一八七一年五月八日、蜂起したパリにたいするヴェルサイユ軍の最後の反撃が始まっていた。五月二十二日から二十八日にかけての有名な「血の週間」では、凄惨な市街戦とパリ市民にたいする大量虐殺が行われ、パリは燃え、パリ・コミューヌは血のなかに潰えさる……
 五月二十一日、日曜日は五月(さつき)晴れのすばらしい天気であった。若葉に映えるチュイルリー宮殿の庭園では、それまでの市街戦で夫をうしなった未亡人と、親をうしなった孤児たちのために、慈善音楽会がひらかれていた。二○○メートル先のコンコルド広場には、ヴェルサイユ軍の砲弾が破裂して、陽気な金管楽器の音楽に調子をあわせているようであった。パリの群衆は軍楽にきき入っていた。しのびよっている危険に気づいている者は、誰ひとりとしてなかった。
 チュイルリーの木かげで、軍楽隊がひと息いれているあいだにも、ヴェルサイユ軍はぞくぞくとサン・クルー門からオートイユ地区へと雪崩れこんでいた。サン・クルー門は破壊されて、監視隊もいなかった。──この五月二十一日の状況は象徴以上のものである。無警戒でお人よしのコミューヌの敗北はすでに眼に見えていた。
 五月二十二日、「血の週間」が始まる。この日もからっと晴れあがって、よい天気であった。少なくとも二万といわれるコミューヌ軍にたいして、マクマオンの指揮するヴュルサイユ軍は一三万。夕方には、早くもパリの西部を制圧し、サン・ラザール駅からモンパルナスの線に進出する。砲弾が全市に雨あられと降って火災が起こる。容赦のない虐殺が始まる。
 五月二十三日、ヴェルサイユ軍は大迂回作戦に出る。アスニェール門から城壁沿いにクリニャンクール門に進出、ついでモンマルトルの丘を側面から攻撃し、オルナノ大通りを南下した。コミューヌの「赤い処女」と呼ばれた詩人ルイズ・ミッシェルは、五○人ほどの国民軍兵士といっしょにモンマルトル墓地を午前十一時まで死守した。この一隊がショッセ・クリニャンクールのバリケードへ後退したときには一五人しか残っていなかった。ルイズは銃の床尾でなぐり倒されたまま、死者としてとり残された。のちに彼女は傷つき痛むからだを引きずって、ウドー街の小学校に帰った。彼女は母親といっしょにそこに住んでいたのだ。
 五月二十三日には、チュイルリー宮殿、国務院、会計監査院などが火に包まれた。それらの火事は、コミューヌ側が敵をくいとめるために放ったのもあれば、敵がコミューヌの拠点をつぶすために放ったものもあり、また砲撃によるものもあった。この大火について、ヴェルサイユ側は、石油女(ペトロルーズ)たちが石油をかけて火をつけてまわっている、というデマをまき散らして、パリの女たちにたいする憎悪をあおった。火の壁はセーヌ河をまたぎ、東風にあおられて煙の渦が西部地区を蔽った。チュイルリー宮殿は三日三晩燃えつづけた。
 詩人ヴェルメルシュは「放火犯たち」のなかに書く。

 暗くすさまじい夜どおしいっばい パリは燃える
 空は血の色に映えて 歴史が燃える
 劇場 修道院 ホテル 館(やかた)が燃える
 トリブーレやフルーリの輩(やから)を送り出した宮殿が
 渦巻く炎のなかに もがき もだえ
 渦巻く炎は パリのうえを蔽いただよう
 死の最後まで 復讐する人民の旗のように

 ヴィクトル・ユゴーは詩集『怖るべき年』のなかに、コミューヌ戦士の英雄主義をほめたたえ、虐殺された人民の悲劇を描いている。「銃殺された人たち」のなかにユゴーは書く。

 陰鬱な銃声やざわめきが ロボオ兵営から上る
 それは 墓をひらいては閉ざす雷鳴なのだ
 たくさんの人が機関銃に撃たれ 泣く者もいない
 死神が彼らに手を触れるやいなや その人たちは
 冷酷で不完全で悲しいこの世界から急いで逃げだし
 そうして自由になるのを喜んでいるように見える
 立ち上ってよろめく者はいない このおなじ壁に
 祖父と孫とがいっしょに立たされる 祖父は敵をののしり
 亜麻色の髪の元気な子供は笑いながら叫ぶ──撃て!

 なんとその人たちは目に涙をたたえ 腕をねじ曲げ
 手をひきつらせて 大砲を銃を剣をと哀願し
 壁にへばりつき 道ゆく人にしがみついて
 逃げようとし 震えながら墓穴を拒んでわめいた
 「おれたちは殺される どうか助けてくれ」
 ………………………………………
 彼らは出発する われらは彼らに何をしてやったか
 泣こうともせず 叫び声ひとつあげず 未練もなく
 こうしてすべてのものをあとにして行くとは
 おお なんということだ われらは何者なのだ?
 われらは泣く 彼らは処刑に向けて準備ができていた
 遅すぎた同情がなんの役に立とう? おお この暗闘(くらやみ)!
 この陰惨な時を前にした彼らにとってわれらは何者だったのか
 あの女たちをわれらは守ってやったか その膝のうえに
 裸で震えている子供たちを抱きあげてやったか
 彼らは寒さに震え 飢えはてていたのではないか
 そのためだ 彼らがきみらのチュイルリーを焼き払ったのは
 そうわたしは断言する 傷ついた魂たちの名において
 わたしは見せかけやいつわりの喪には無縁の男だ
 崩れ落ちた宮殿よりも死んだひとりの子供に心動かす男だ
 ……………………………………
 大ユゴーは、「きみらのチュイルリー」と言って、焼き払われた宮殿を惜しまずに、ヴェルサイユ軍がその宮殿の名において虐殺しようとした人民の側に移行する……。

(新日本新書『ランボオ』)



関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2924-53624ecf
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック