「パリ戦争の歌」(上)盗まれた心

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 「パリ戦争の歌」

 一八七一年四月末、ランボオがパリに出て、コミューヌ軍の志願兵としてバビロンの兵営に入ったということは、すでに書いた。その兵営ぐらしで、彼は兵隊どもから冷やかされ、からかわれて、すっかり幻滅して、「盗まれた心」を書く。

   盗まれた心

 おれの悲しい心は舟のともで泣き言をいう
 おれのこころは安たばこでいっぱいだ
 やつらはそこにスープを流しこむのだ
 おれの悲しい心は舟のともで泣き言をいう
 みんなでどっと笑いこけ笑いとばす
 兵隊どもにひやかされからかわれて
 おれの悲しい心は舟のともで泣き言をいう
 おれのこころは安たばこでいっぱいだ

 このうえもなく淫猥で 兵隊流の
 やつらのひやかしが おれの心を汚した
 このうえもなく淫猥で兵隊流の
 画までが 蛇のうえに描いてある
 おお とてつもない力をもつ波よ
 おれの心をつかんで 洗ってくれ
 このうえもなく淫猥で 兵隊流の
 やつらのひやかしが おれの心を汚した

 やつらの噛みたばこが切れたら
 どうしよう おお 盗まれた心よ
 やつらは噛みたばこが切れたら
 バッカス風のしゃっくりをするだろう
 もしも おれの心が卑しめられるなら
 おれの胃袋は むかつくだろう
 やつらの噛みたばこが切れたら
 どうしよう おお 盗まれた心よ
        一八七一年五月

 ここに描かれているのは、古い水夫の新入りいじめ、古参兵の新兵いびりというところである。ランボオは、「生を変える」ことを夢み、それを革命に期待し、革命の大業をいちずにめざしていたのに、兵隊たちの「ひやかし」や「バッカス風なしゃっくり」にやりこめられた。したがって、この耐えがたい汚辱感と嫌悪は、たんに感覚的なものではなく、精神的なものである。彼は十六歳半である。

 パリで幻滅を味わったランボオは、また歩いてシャルルヴィルへ帰ることになるが、その帰途は危険にみちていた。政府軍のパトロールが郊外を見張っていた。郊外を出ると、いたるところにプロシャ軍がいた。しかし彼はそういう危険には慣れていて、それをくぐり抜けるこつを心得ていた。村を通るときには、家に帰る復員兵のようにふるまって……五月の始めに彼はシャルルヴィルに帰り着いた。(つづく)

(『ランボオ』──「パリ戦争の歌」)

亀
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