敗戦と休戦条約と占領……(下)

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 ドイツ軍がパリに入城して二日後の六月十六日、ペタン元帥が内閣の首班となり、翌十七日、ボルドーからラジオを通じてドイツと休戦条約をむすぶと宣言する。
 ペタン元帥は、第一次世界大戦でフランス軍を指揮して勇名を馳せたが、ヒットラー、ムッソリーニを支持する反動的な人物としても有名であった。一九三四年以来、かれは一貫して人民戦線に反対し、ヒットラーにたいして友好的であり、ヒットラーとたたかう戦争には反対してきた。ペタンの目的は、ヒットラーのドイッと妥協して、かれ自身がフランスの首領となり、あらゆる民主的制度を撤廃して、ファシズム体制をフランスにうち立てることであった。このようなペタンの腹ぐろい魂胆を、当時の多くのフランス人はまだ見抜くことができなかったとき、多くのフランス人は、「名誉ある平和」を実現すると約束したこの白ひげの老人を信頼したのである。フランスを見舞った大いなる不幸と悲劇のなかで、この軍人がフランス人を裏切ろうとは、多くのフランス人は思いも及ばなかった。大多数のフランス人は、ペタンが幸福を決意し、休戦条約をとりきめたことを知って、ほっとしたのである。
 休戦条約は、一九四○年六月二十二日、コンピニーニュの森で、フランス全権委員アンチジェ将軍とドイツ軍総司令官カイテル元帥のあいだで調印された。一九一八年十一月、ドイツ代表が幸福に署名した、その歴史的な思い出の客車で、ヒットラーの立ち会いのもとに、こんどはフランスが屈辱にみちた降伏に署名したのだった。
 だが、すべてのフランス人がペタンとその一党にあざむかれ、だまされていたわけではない。とりわけドイツ軍に破られることのなかったマジノ線のトーチカでは将校と兵隊たちが戦いつづけた。フランス共産党は、六月十日以来、パリの防衛と大衆蜂起を呼びかけていた。
 また、最初の偉大な抵抗者として、第五軍団空軍司令官コシェ将軍をあげなければならない。ペタンの対独降伏のメッセージがラジオ放送されてから二時間もたたぬうちに、コシェ将軍は部下を集めて興奮と怒りにふるえる声で、敵と戦いつづけよ、という最初の抗戦命令をあたえた。のちにコシェ将軍は語る。「一九四○年六月以来、とるべき唯一の態度は抵抗することだ、ということをわたしは知っていた。かつて軍の情報部長だった頃、わたしの集めた情報からみて、ドイツ人の意図はなんら疑う余地のないほど明らかであった。」
 コシェ将軍は、フランスの敗北を認めることを拒否した、ごく稀な高級将校の象徴であった。


  (『レジスタンスと詩人たち』──第一章 鉄かぶとをかぶった詩人)

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