敗戦と休戦条約と占領……(上)

ここでは、「敗戦と休戦条約と占領……(上)」 に関する記事を紹介しています。
 敗戦と休戦条約と占領……

 一九四〇年六月五日、ロンメルとフォン・マンシュタイン指揮のドイツ機械化部隊は、ソンムの戦闘に突入する。ロンメルは独特の戦術で、フランスの防衝線にくさびを打ちこんで、これを突破し、フランス軍を背後から攻撃する。六月十日、フォン・ボックのドイツ軍部隊はセーヌ川を越えてエブルーに到達する。また東部戦線においてもランスが陥落し、ドイツ軍はマルヌ川を越える。もはやドイツ軍の怒涛の進撃をおしとどめるものはない。「フランス軍は陽を浴びた雪のように融けさった」といわれる。
 フランスじゅうに不安がひろがり、高まるが、真実をつたえるニュースはなく、いたずらに敗戦の事態を糊塗するニュースが流される。しかも市民たちの驚いたことに、六月十一日、フランス政府は首都パリを放棄してツールに移った。そして一九四〇年六月十四日、無防備都市を宣言したパリに、ドイツ軍が入城した。

 みんなが黙りこみ 敵は闇のなかに休んでいる
 こよいきけば パリはついに陥ちたという
               (アラゴン「リラと薔薇」)

 このフランス軍の崩壊について、アメリカの歴史家ウィリアム・L・レーンジャーは書く。
「一九四〇年六月におけるフランス共和国の敗北と降伏ほどに破局的な事件は、近代史上きわめて稀である。一八〇六年、ナポレオンがプロシャにたいして行った電撃作戦以来、ひとつの大軍隊が運命によってかくも無残に、かくも冷酷にうちのめされたことはなかった。六週間足らずのうちに、世界屈指の軍事力のひとつが国際舞台から消えさったのである……」
 灰色の朝の空に、最初のハーケンクロイツの旗が、コンコルド広場にひるがえった。十一時に、ドイツ軍レンジャー部隊がシャンゼリゼを入城行進した。拡声器から流れる金属的な声が市民に告げる。
 「ドイツ軍最高司令部は、わが占領軍にたいするいかなる敵対行為をも許さない。わが軍にたいするあらゆる破壊行為および攻撃は死刑に処せられる。二十時以降は、夜間外出を禁止する。」
 フランス北部、東部、とりわけパリの市民たちは恐慌状態におちいる。市民たちはあらゆる方法で避難を開始する。ドイツ軍から逃れようとする避難民の行列が、フランスじゅうの街道や道路を埋めた。
 詩人マックス・ジャコブは、一九四○年七月二十三日付セゲールス宛の手紙に、この恐慌状態を描いている。当時、マックス・ジャコブはパリ南方のサン・ブノワ・シュル・ロワールに隠遁して、信仰生活に身をささげていた。
 「列車も自動車ももう動いていない。ガソリンがないので、自動車のたぐいも稀なのです……わたしは動かずに、同時代人たちの気違い沙汰に立ち会っています。どこへ行くというあてもなしに出発したり、街道わきのどぶに荷物や財産を捨てたり、自動車のなかで自殺したりする、気違いじみた恐慌状態……そう、わたしも、自分で自分の静脈に穴をあけた一家族の面倒をみています……告白すれば、わたしも少なからず涙を、ほんとうの涙を流しました。わたしも看護をしました。(瓶を開けたり、べッドをしつらえたり、病人の世話をして)……」(つづく)


  (『レジスタンスと詩人たち』──第一章 鉄かぶとをかぶった詩人)

 
水元公園

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2899-869d4546
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック