土井大助「ゴーシュロンが仏訳した大島博光詩抄」

ここでは、「土井大助「ゴーシュロンが仏訳した大島博光詩抄」」 に関する記事を紹介しています。
 ぼくが大島さんに最後に会ったのは、二○○四年三月三十一日午後、三鷹の杏林大学病院の病室。病床に半身を起こし、小卓を引いて本を読んでいた。病院が苦手でない人は少ないだろうが、ぼくにとってはとりわけ苦手な落ち着けない場所だ。柄になく言葉少なになってしまう。数床のベッドが並ぶなかで、永年の病床慣れではなかろうが、悠然たるもので、血色もよかった。病床の人はしきりにゴーシュロンのことを語った。半年ほど前、大島訳のジャック・ゴーシュロン詩集『不寝番』を送ってもらったのに、ぼくは未だ丁寧には読んでいなかった。著者は、若くしてアラゴンの指導を受け、ともに行動した経歴をもつ。訳者より十年年少の現役のフランス詩人だ。近年なお、「ヒロシマの星のもとに」「湾岸戦争を展望する岬」など、アクチュアルな(これは大島さんの好んで力説する形容動詞だ)詩作を書き続け、アラゴンらを先達とするフランス・レジスタンスの詩的伝統を積極的に受け継ぐこの詩人について、大島さんは我がことのごとく熱っぽく語った。
 別れ際に、大島さんはA5判二十枚ほどのコピー綴りを手渡してくれた。フランスの文化誌『コミュンヌ(Commune  )』の抜き刷だ、という。フランス語に無学のぼくには読めないが、仏訳「大島博光詩抄」だった。「鳩の歌」「ひろしまのおとめたちの歌」「硫黄島」「ランボオ」、そこまでは大方原題名の見当がついたが、つぎの長編「わたしの愛する詩人たち」(この作だけが『全詩集』にも後の単行詩集にも見当たらない。どなたかご教示を請う)、最後が「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」、以上六編だった。最初のページには、詩人大島博光の略歴紹介があり、その下の広い余白には翻訳協力者ゴーシュロンから大島博光への肉筆書簡とサインがあった。人に頼んだ書簡の粗訳を記す。

親愛なる詩友に宛てて。
略歴と仏訳詩篇をお送りいたします。お喜びいただけるだろうと存じます。
何篇かは、次号の「ルヴェ・コミュンヌ」誌に掲載されるでしょう。追って見本刷りをお送りいたします。
ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
友情の証として  J・ゴーシュロン
          二〇〇四・三・一六

<土井大助「大島博光研究・序章」(『詩人会議』二〇〇六年八月号)より>

ゴーシュロン

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2892-626a0d14
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック