前橋の主人公だった製糸女工

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昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』、後半は前橋が舞台となり、群馬県令となった準主人公(大沢たかお演ずる)が蚕糸産業の育成のために尽力するストーリー展開でした。ドラマのおかげで前橋の製糸業のことがひろく知られたのではないでしょうか。

母親が前橋で生まれ育ったため、私は小学生の頃、親に連れられて前橋の祖父母の家をたびたび訪れました。そして前橋は東京よりもずっと大きい大都会だと思っていました。大きなビルが並び、ネオンサインが瞬く駅の周りは、三鷹の駅前と比べればケタ違いの大きさだったのです。ところが、この前橋が製糸業で繁栄した街であることはつい最近まで知りませんでした。それを知ったのは前橋出身の嶋田誠三さん著作の小説を読んだからです。
嶋田誠三さんの自伝的長編小説「自由への道 第1部 戦後激動期の人びと」は「糸の街前橋」で始まります。この章で前橋の製糸女工さんの様子が描かれています。

冒頭、「前橋市は北に向かって発展している」と担任の先生から教えられた主人公は、「工場の煙突ばかりが目立ち、薄汚れた感じのする製糸工場が立ち並んでいる前橋の北の方面が、なんで市の発展なのか理解できなかった」のです。



 私は賑やかで華やかな街に育ったから、高い煙突から黒い煙を吐きつづける薄汚れた陰気な製糸工場。そこで働くさなぎの臭いのする女工さん達のそれらがみんな好きになれなかった。そういう人達が前橋を汚し、市の品格を下げていると思っていたこともあった。そうして製糸女工さんというのは、自分たちより一段下の人間だと思っていた。いわゆる電気休み、工場休みの日は製糸女工さん達、最盛期は大きな製糸工場だけでも七、八千人いた。それがどっと押しかけて街にあふれた。女工さん達の目当ては、映画館や食堂がある新開地だったが、私の家のある中心商店街にもやって来た。そんなとき二、三人で連れ立ってくる。そして場違いの所に来てしまったように肩をすぼめてこそこそ話しながら行くのだった。私の店のお得意は着物の好みが上品で粋だった。それに比べると女工さん達の着物はどうしても安っぽくそれでいて派手に見えた。でも商店街では、女工さん達を軽蔑するような言葉はきつく戒められていた。彼女らをお得意にしていたのは、新開地の映画館や食堂だけではなかった。女工さん達は中心商店街にとっても、大得意だったからである。普段女工さんは、着物や化粧品、身の回りのものなどを、中心地から離れた呉服屋、洋品屋、小間物屋・雑貨屋などで買った。でも正月近い暮れの大売り出しになると、女工さん達は中心商店街にどっと押しかけてきた。彼女らは暮には大挙して故郷に帰るのである。ボーナスも出て自分のものと共に、故郷の家族へのみやげ物を買うのである。それを目当てに商店街では彼女等に的を絞った大売り出しをやった。街は朝から晩まで、当時はやりの流行歌のレコードをすり切れるまでかけ続けていた。またチンドン屋を雇って、二階の部屋から通りに向かって囃し続ける店が何軒もあるのだ。夜になるとこの街一番の例のネオンサインが瞬いた。そしてそれは夜中近くまで続くのだった。国鉄は年末になると、新潟からの出稼ぎの製糸女工さんのために、前橋駅から新潟への直通の臨時列車「糸姫号」を出した。日頃製糸女工などと見下されている彼女等を、年末には街のどこでも主役のように扱った。だから暮の街は、帰郷の土産物を買う女工さん達であふれた。日頃は街の主人公である奥様方や花柳界の粋な人達もこの製糸女工さんがあふれる暮には、こそこそと小股に控えめに歩かねばならなかった。また期末試験の泥縄勉強に取り組む商店の息子達は、チンドン屋などの騒音に音を上げた。街は一時は、前橋の真の主人公である製糸女工さんの存在を思い知らされるのだった。<嶋田誠三著「自由への道 第1部 戦後激動期の人びと」糸の街前橋─(四)>

自由への道


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