奇妙な戦争(下)

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 しかし十月初め、フランス軍は西部戦線においてドイツ軍よりも優勢だったにもかかわらず、フランスの防衛線であるマジノ線まで後退して、ここに独仏両軍は対峙したまま、どちらも積極的な攻勢に出ず、こうして「奇妙な戦争」は、あくる一九四○年五月までつづくことになる。そのあいだにドイツは大規模な攻撃を準備していた。

 この期間の戦争が「奇妙な戦争」とよばれたのは、それがおかしかったからではなく、一般のフランスの市民にはまったく不可解だったからである。フランスの運命、フランス人民の運命が問われていたとき、 フランスの市民たちは何も知らなかったし、また知らせられなかったのだ。
 この「奇妙な戦争」は、フランス支配層が、ドイツに対ソ戦争開始を期待する反動的な思惑から生じたものである。フランス政府筋は、ひそかにヒットラーの使者と会って、ソヴェト攻撃を話しあい、シリアからソヴェトを攻撃することさえ提案していた。シリアにはすでに十五万のフランス軍が集結していたのである。一方、フランス政府は国内では共産党を非合法に追いやり、民主勢力に対する弾圧政策をおし進めていた。十月九日には三十九人の共產党国会議員が逮捕され、サンテの牢獄にぶちこまれる。そのなかには、のちにファビアン大佐として勇名を馳せることになるピエル・ジョルジュもいた。
 さらに翌一九四○年四月には、つぎのような新しい法令が出される。
 「共産主義第三インターナショナルノ宣伝文書ヲ流布スル目的デ、コレヲ製作シ、発行シ、保有シタコトヲ、一定ノ訴訟ニオイテ確証サレタ者ハ、死刑ニ処セラレル。」
 左翼の書籍、新聞、出版物などがねらわれた。ファシストの支配するドイツ、イタリー、スペインにおけると同じように、一九七三年九月以降のチリにおけると同じように、一九四○年のフランスでも、マルクスを読むことは死刑にあたいしたのである。(この項おわり)

  (『レジスタンスと詩人たち』──第一章 鉄かぶとをかぶった詩人)

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