1 奇妙な戦争(上)

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 1 奇妙な戦争

 一九三六年七月に始まったスペイン内戦において、イタリーとドイツはフランコを支持した。ドイツでは、一九三三年以来、ナチの首領アドルフ・ヒットラーが政権をにぎっていた。ナチ(Nazi)は、国家社会主義者(National-Sozialist)の略号であり、ヒットラーによって創立されたファシスト党であった。スペイン戦争において、ヒットラーは自分の新しい軍隊─とりわけ空軍、戦車隊を実戦に投じて実験し、その威力を試していた。
 すでに述べたように、フランスとイギリスの支配層は、「不干渉政策」の名のもとにスペイン共和派を援助することを拒み、これを見殺しにすることによって、ファシストたちに手をかしたのである。しかし、ヒットラーのフランコ支援は、ほんの小手しらべに過ぎなかった。ヒットラーは遥かに雄大な計画をたくらみ、世界征服を夢みて、営々と準備を重ね、作戦をねっていた。独仏国境のラィンラント地方は、ヴェルサイユ条約によって、無防備地帯に指定されていたにもかかわらず、一九三六年三月七日、ヒットラーは条約を破ってラインラントを再軍備する。一九三八年三月十一日には早くもオーストリアを占領。一九三八年九月には、チェコスロヴァキアのズデーテン地方を奪取する。おなじ年の九月三十日、ヒットラー、ムッソリーニ、チェンバレン、ダラディエのあいだに、恥ずべきミュンへン協定がむすばれる。これによって英仏政府は、ファシズムの侵略をみとめ、チェコスロヴァキアのズデーテン地方をヒットラーの野望の手に売りわたした。イギリスとフランスの帝国主義者たちは、ヒットラーにプラハへの道をひらいてやることは、ヒットラーのモスクワ進撃の第一歩にほかならないと考えていたのである。一方、ソヴェトはかねてから、ヒットラーの野望をおしとどめるために、英仏に協力を申し入れていたが、パリとロンドンはモスクワの提案には耳もかさなかった。ヒットラーはこの機に乗じて、一九三九年三月、チェコスロヴァキア全土を征服した。ソヴェトはフランスとイギリスに重ねて軍事同盟を提案したが、またしてもパリとロンドンはいたずらに事態をひきのばすだけであった。さらにヒットラーがポーランド侵攻の準備をすすめていたとき、ソヴェトは危険がおのれの身にせまるのを感じると同時に、フランス、イギリスが頼むに足りぬのを見てとって、一九三九年八月二十二日ドイツと「不可侵条約」をむすんだ。そして九月一日、ドイツ軍機械化部隊がポーランドに侵攻し、ヒットラーの空軍がワルシャワおよびクラコーを爆撃するに及んで、ついに九月三日、パリとロンドンはドイツにたいして宣戦を布告する。しかし、宣戦は布告されたが、戦争は始まらなかった。フランス軍ははじめ独仏国境を越えて、ドイツ軍の防衛線であるジークフリート線をめざして進撃し、ザールブリュッケンを脅かした。(つづく)

  (『レジスタンスと詩人たち』──第一章 鉄かぶとをかぶった詩人)

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