蜷川譲『フランス文学散歩』冒頭2─レジスタントをかくまったパリの門番

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第二次大戦中、パリの家々の門番は多くのレジスタントを見逃し、かくまい、フランスの戦局を有利に導くのに貢献したが、誰もが重圧の下でレジスタントを表口から迎え、食糧をあたえ裏口から逃がしてやるほどの個人の自由をもっていた。

 在仏中、私の下宿の食卓ではしばしば文学論が闘わされた。学生はもとより、下宿のマダムにいたるまで、自分の好きな作品については自分の創作であるかのようによく記憶しており、その作品の思想性をしっかりとつかんでいた。フランスの初等教育からの、厳しい大意をまとめさせる方法がこの人たちの一人々々に身についたためでもあるが、何よりも自国の文学を熱愛することに起因しているように思われた。
・・・このようにこれらの芸術作品で育くまれ、とぎすまされた精神は、直接人間に対する評価ともなって現われる。
 「この人なら間違いない」と下宿人に選んだ人に悪かったためしはない、と四十年の経験をほこるこの下宿のマダムは、人間評価に対する強い自信をもっていた。F・ストロウスキーは、フランスでは心理観察家とモラリストとが巷に溢れ、「世の中でもっともすぐれた心理観察家はパリの家々の門番である」という。
 このパリの家々を守る門番は厳しいおふれを守りながら、第二次大戦中自らの判断で多くのレジスタントを見逃し、かくまい、ついにはフランスの戦局を有利に導いたかくれた手柄の持主でもあるのである。いや誰しもがお上の重圧の下にあっても、レジスタントを表口から迎え、食糧をあたえ裏口から逃がしてやるほどの個人の自由をもっていたことを物語っている。
 思想性の乏しい日本文学は、美文と情緒で引つけはするが、幾度も読み返すうちに、新しさを感じさせ、発見させるものはほとんどない。それに反して、ラ・フォンテーヌやモンテーニュやパスカルをつねに座右において毎年読み返したり、アランがスタンダールの『パルムの僧院」を六十一回読んだという話は、とても日本の身辺雑記を綴った私小説では想像も及ばないことであろう。
 本当に優れた作品は幾度もの読破にたえ、その度につねに新鮮さを見出すものである。
 すぐれた書物は友にも勝るが、毎年一回めぐり合う旧友のように、その作品を年ごとに読み返す習慣は素晴らしいものである。その行為の中にこそ生きた知恵は泉のごとく湧き出るであろう。

   (蜷川譲『フランス文学散歩』<1 生きた知恵は泉のごとく>現代教養文庫 1959年)

パリの街

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