船乗りと詩人の寓話
ルイ・アラゴン
大島博光訳
とある日 ある夜 ある朝
きみは きみの運命の座に着く
姿かたちのない ほかのものにまじって
おお 詩人よ ほの暗いひかりよ
かれらとともに きみはきみの墓穴を掘り
かれらとともに 過ぎゆく時をかぞえる
時間の 谷間の どん底で
そこでは 鳩の歌も かすれ息絶える
きみは そこで 思い出したか
ジプシーと 天使たちのために
マヌエル・デ・フアラが 奏(かな)でた
あの 甘い ふしぎな 音楽を
だがしかし 音楽と 詩は
突如として 消えうせた
きみは 庭を 思い出したか
きみ自身を 思い出したか
生か 死か きみはどちらを選んだのか
だが きみの 死への道に
野いちごの血は 黒かった
その時 きみの詩に何ができたろう
なぜなら やつらはきみを追いつめ
うさぎのように きみを射ったから
谷間にも 牧場にも
木いちごの実は 熟(う)れていたから
もう 見分けもつかぬだろう
きみの白い骨を ほかの頭蓋骨とは
そうしてグラナダと マリグラーヌとは
きみの詩と きみ愛した野とは
すでに かれの口から 雨水が 浸みこむ
眼ざしが消えるように 眼は大きく開けさせておこう
そうしてかれが この おのれの死に慣(な)れるように
かれの顔を ハンカチなどで 隠してはならぬ
そしてきみたち 時間の奥からやってきた亡霊たちよ
かれの死のうえにのぼって 歩哨に立て
星はそれぞれ一粒(ひとつぶ)の涙となり 空はきみらを見守る
雲のなかで凍(ほご)える 数限りもない 苦悩(くるしみ)の霊よ
人間の偉大さであり 気高(けだか)さであったすべてのもの
不正にたいする人間の抗議の声 歌ごえ 英雄たちが
あの死刑執行人(ひとごろし)どもに抗して この屍骸(むくろ)のうえ高く
きょう グラナダの虐殺の前に 立ち現われる
そして 世界じゅうを突如として沈黙でみたして
黙りこんでしまったロルカが その空(うつ)ろな口が
暴力のやからに向かって 暴力を突き返えすのだ
なんと 殺されたひとりの詩人がつくり出すこの騒ぎ
ああ わが野蛮な兄弟たちに わたしは絶望した
わたしは見た わたしは見た 膝まずいた未来を
勝ちほこる「野獣」を われらのうえの重石(おもし)を
われらの岸べに放たれた 兵隊どもの砲火を
やつらの手がふれると 匕首(あいくち)さえもぞっと身顫(みぶる)いし
豹さえもが怖れはばかる あの人殺しどもが
たとえ相も変わらず やつら同士の残忍な取引で
絶えず 大地のぶんどり合いをつづけようと
たとえ 相も変らず 王公どものたぐいと
ひれ伏す人たちとのいさかいや 戦争があり
歓迎もされずに 生まれてくる子供があり
いなごどもに食いちぎられる小麦があろうと
たとえ相も変らず 牢獄と車(くるま)刑の下の肉体があり
相も変らず 権力者によって正当化される虐殺があり
死骸には あの言葉のマントが 投げかけられ
口には猿ぐつわ 手には釘が うちこまれようと
だがいつか オレンジ色をした日がくるだろう
額に月桂冠をいただく 勝利の日がくるだろう
裸わな肩で 人びとの愛しあう日がくるだろう
鳥がいちばん高い枝で歌うような日がくるだろう
そして このうえもなく率直に愛する青春があり
つるにちにちそうのような 眼があり
ふくよかな香りと いっそう白い夜明けがあり
きみの腕がわたしを抱えてくれた あの無限の優しさがあるだろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わが心よ この悲しい涙の時に おまえはどこへ出てゆくのか
(訳詩集「エルザの狂人」草稿、飯塚書店『アラゴン選集Ⅲ』1970年4月)
ルイ・アラゴン
大島博光訳
とある日 ある夜 ある朝
きみは きみの運命の座に着く
姿かたちのない ほかのものにまじって
おお 詩人よ ほの暗いひかりよ
かれらとともに きみはきみの墓穴を掘り
かれらとともに 過ぎゆく時をかぞえる
時間の 谷間の どん底で
そこでは 鳩の歌も かすれ息絶える
きみは そこで 思い出したか
ジプシーと 天使たちのために
マヌエル・デ・フアラが 奏(かな)でた
あの 甘い ふしぎな 音楽を
だがしかし 音楽と 詩は
突如として 消えうせた
きみは 庭を 思い出したか
きみ自身を 思い出したか
生か 死か きみはどちらを選んだのか
だが きみの 死への道に
野いちごの血は 黒かった
その時 きみの詩に何ができたろう
なぜなら やつらはきみを追いつめ
うさぎのように きみを射ったから
谷間にも 牧場にも
木いちごの実は 熟(う)れていたから
もう 見分けもつかぬだろう
きみの白い骨を ほかの頭蓋骨とは
そうしてグラナダと マリグラーヌとは
きみの詩と きみ愛した野とは
すでに かれの口から 雨水が 浸みこむ
眼ざしが消えるように 眼は大きく開けさせておこう
そうしてかれが この おのれの死に慣(な)れるように
かれの顔を ハンカチなどで 隠してはならぬ
そしてきみたち 時間の奥からやってきた亡霊たちよ
かれの死のうえにのぼって 歩哨に立て
星はそれぞれ一粒(ひとつぶ)の涙となり 空はきみらを見守る
雲のなかで凍(ほご)える 数限りもない 苦悩(くるしみ)の霊よ
人間の偉大さであり 気高(けだか)さであったすべてのもの
不正にたいする人間の抗議の声 歌ごえ 英雄たちが
あの死刑執行人(ひとごろし)どもに抗して この屍骸(むくろ)のうえ高く
きょう グラナダの虐殺の前に 立ち現われる
そして 世界じゅうを突如として沈黙でみたして
黙りこんでしまったロルカが その空(うつ)ろな口が
暴力のやからに向かって 暴力を突き返えすのだ
なんと 殺されたひとりの詩人がつくり出すこの騒ぎ
ああ わが野蛮な兄弟たちに わたしは絶望した
わたしは見た わたしは見た 膝まずいた未来を
勝ちほこる「野獣」を われらのうえの重石(おもし)を
われらの岸べに放たれた 兵隊どもの砲火を
やつらの手がふれると 匕首(あいくち)さえもぞっと身顫(みぶる)いし
豹さえもが怖れはばかる あの人殺しどもが
たとえ相も変わらず やつら同士の残忍な取引で
絶えず 大地のぶんどり合いをつづけようと
たとえ 相も変らず 王公どものたぐいと
ひれ伏す人たちとのいさかいや 戦争があり
歓迎もされずに 生まれてくる子供があり
いなごどもに食いちぎられる小麦があろうと
たとえ相も変らず 牢獄と車(くるま)刑の下の肉体があり
相も変らず 権力者によって正当化される虐殺があり
死骸には あの言葉のマントが 投げかけられ
口には猿ぐつわ 手には釘が うちこまれようと
だがいつか オレンジ色をした日がくるだろう
額に月桂冠をいただく 勝利の日がくるだろう
裸わな肩で 人びとの愛しあう日がくるだろう
鳥がいちばん高い枝で歌うような日がくるだろう
そして このうえもなく率直に愛する青春があり
つるにちにちそうのような 眼があり
ふくよかな香りと いっそう白い夜明けがあり
きみの腕がわたしを抱えてくれた あの無限の優しさがあるだろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わが心よ この悲しい涙の時に おまえはどこへ出てゆくのか
(訳詩集「エルザの狂人」草稿、飯塚書店『アラゴン選集Ⅲ』1970年4月)
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