ランボオ──恩師イザンバール・「鍛治屋」(中)

ここでは、「ランボオ──恩師イザンバール・「鍛治屋」(中)」 に関する記事を紹介しています。
 中学の第二学年になると、ランボオの革命的情熱はきわめて激しい調子をおびる。一八七〇年五月に書かれた「鍛治屋」には、ヴィクトル・ユゴーの「諸世紀の伝説」の影響がみられるが、そこにはたくましい自由な人間の夢がみいだされる。この自由な人間は、暴君をうち倒すために、いつでも銃を手にして街へくり出してゆく用意をしている。そこにはまた人類の進歩、人類の未来にたいするランボオの信仰がみいだされる。この詩を書いたランボオは、ユゴーの『懲罰詩集』をとおしてフランスの歴史を見つめ、ミシュレの『フランス革命史』に夢中になっている。

   鍛治屋(抄)
           ──一七九二年八月十日──
 でっかい かなづちのうえに 腕ついて
 酔っぱらった図体も 怖ろしいけんまく
 ひろい額で 赤銅のラッパのように大口で笑いながら
 肥っちょの王を 残忍な眼つきでにらみながら
 ある日 「鍛治屋」はルイ十六世にまくしたてた
 そこにいた民衆は あたりをねり歩きながら
 金ぴかの床のうえに 汚い服をひきずっていた
 ところで お人好しの王は 腹つきだして立っていた
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「さて 陸下(ムッシュウ) おいらは歌ったトラララ
 そして牛どもを他人の畑へ追いやった
 坊主は金貨をつらねたきれいな数珠で
 だらだらお念仏をならべていた 陽あたりで
 お殿さまは角笛吹きならしながら馬でお通り
 片手には綱 片手には鞭 それでおいらをめった打ち
 おいらの眼は牡牛の眼のように どろんとぼやけて
 もう涙さえ出なかった おいらは働いた 働いた
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「だが おいらは今こそ知った! この額と
 たくましい二つの手と鉄槌(かなづち)をもっているかぎり
 おいらはもう信じるものか だまされるものか
 外査のしたに匕首をしのばせた男がやってきて
 『こら わたしの土地に種子をまけ』などと言ってもー
  また戦争にでもなれば またぞろやってきて
 おいらの家から息子をひったてて行くのだ!
 おいらが下臣で おまえさんが王さまだったら
 言うだろう『余は欲する!』と 全くばかげたことだ
 おまえさんのすばらしい小屋や金びかの将校どもや
 たくさんのならず者どもや 孔雀のように
 ねり歩くおまえさんのたいへんな私生児どもを
 おいらは見るのが好きだとあんたは思っている
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「いや そんな汚辱はおいらのおやじの頃のこと
 おお人民たちはもう浮売婦ではない 三歩動いて
 おいらは バスチーユをこっぱみじんにした
 このけだものはその石の一つ一つで血を吸って
 胸が悪くなるほどだった バスチーユはそそり立ち
 その癩病みの壁は すべてを物語りながら
 いつもその闇のなかにおいらを閉じこめてきた!
 市民よ市民よ おいらが塔を奪いとったとき
 暗い過去は崩れおち 断末魔の呻きをあげた
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 鍛治屋は王の腕をとると ビロードの窓掛けを
 さっと開いて 下のひろい中庭をさし示す
 そこには群衆がむらがり沸き返っている
    「あれはろくでなしだ 旦那
 あれは壁によだれを垂らし 群がりふくれ上る
 みんな食えないから みんな乞食どもなんだ
 おいらは鍛治屋だ おいらの女房もあの中にいる
 チュイルリー宮殿に行けば パンがあると
 血眼になって あれは思いこんでいるのだ
 おいら貧乏人は パン屋では相手にされぬ
 おいらはがきが三人 おいらもろくでなしだ
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 鍛治屋は金槌をふたたび肩にかついだ 群衆は
 この男が近づくと うっとりと酔い心地になった
 そして広い中庭のなか 街の家家のなか
 パリじゅうが息を切らして どよめいていた
 はてしもない群衆の波を 戦慄がゆさぶった
 そのとき 垢だらけのでかい手を振りあげて
 鍛治屋は ぱっと赤い縁なし帽を投げつけた
 太鼓腹をした 汗まみれの王の額めがけて!

 「鍛治屋」の傍題「一七九二年八月十日」というのはまちがいで、史実上では「一七九二年六月二十日」が正しい。じっさいに群衆がチュイルリー宮殿におし入り、「肉屋のルジャンドルが進みでて、国王に〈ムシュー〉とよびかけ、嘘つき、裏切り者と攻撃し、猛烈な請願文を読みあげた」(ミシュレ『フランス革命史』中央公論社版)のは六月二十日であった。ランボオは 詩のなかに、ルジャンドルの代りに鍛治屋を登場させている。この月、国王は群衆をなだめるために、群衆のひとりが槍の刃先にひっかけて差しだした赤い縁なし帽をかぶったといわれるが、ランボオの詩では、鍛治屋が国王の額にそれを投げつけたことになっている。なお、フランス革命の時代に、革命派がかぶった赤い縁なし帽(ボンネット)──フリジア帽はローマ人にあっては解放のしるしであった。ブリッソという人物が、一七九二年の初め、この赤い縁なし帽を愛国者のしるしとして採用するように提案したといわれる。
 この詩のなかで、鍛治屋が「おいらもろくでなしだ」と叫ぶところがある。この「ろくでなし」(la crapule)という表現は、ドゥラエがランボオに語ってきかせた話に由来する。 「ある日、シャルルヴィルのデュカール広場で、哀れな労働者風情の男がひどく酔っばらって、よろよろとして、三歩も歩けず、熱い涙を流しながら唸っていた。〈ろくでなしだ! おれはろくでなしなんだ……そして自分自身をこらしめるように、大きな拳で自分の腹をぶっていた……〉(ドゥラェ「うち明けた回想録」)
ヴィクトル・ユゴーのように、ランボオもまた、あくせくと働き、控取され、侮蔑される人びと──「ろくでなし」の味方となる。この詩によって、ランボオはその怒りを時の皇帝ナポレオン三世に間接的にぶつけている。そしてこの象徴的な鍛治屋は、まさに自由と平等をもとめる人民の夢をあらわしているのである。 この政治的反抗は、教会と聖職者への反抗をともなう。ランボオの烈しい、一種の反教権主義は、「タルチュフの懲罰」「法衣の下の心」のなかに爆発する。ドゥラェは書いている。 「あの超人間的な権利に挑戦するという英雄主義……わたしたちがシャルルヴィルの公園を散歩中、わたしはランボオがベンチのうえに〈神なんかくそくらえ!〉と白墨で書くのを見たが、そのとき彼は恐らくその英雄主義を発揮していたのだ……」 (つづく)


      (新日本新書『ランボオ』)

きつね


関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2843-14e73c98
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック