リベラックの教訓(下)涙よりも美しきもの

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  涙よりも美しきもの(抄) 

 わたしが呼吸をすると 或る連中の生きる邪魔となり
 何かの苛責で 彼らは夜もおちおち眠れぬのだ
 まるでわたしが詩を書けば 笛や太鼓が鳴り出して
 その音で 死んだ者までが眼を覚ますらしいのだ

 わたしが愛を語れば きみらはその愛に苛(いら)だち
 いい天気だと書けば 雨降りだと言いたてる
 きみらは言う 「おまえの野には雛菊が多すぎる
 おまえの夜には星が多すぎ おまえの空は青すぎる」と

 そこなる美女よ わたしが戸口から戸口へと回って
 さあ おん身を忘れてしまったかどうか 見ておくれ
 おんみの眼は 手にした葬いの花束の色にそっくりだ
 昔の春 おん身の前掛には花が咲きこぼれていた

 呼び起こせ 呼び起こせ 幽霊どもを追い払うため
  燦然(さんぜん)と輝く奇跡を 千とひとつのいさおしを
 サン・ジャン・デュ・デゼールから
  ブラントームの穴倉まで
 ロンスボーの峠から ベルコールの高原まで

 パリの魅惑はどこから始まるのか わからない
 レ・ザンドリのような 血のにじむ名前がある
 風景は身をのけぞらせてわれらに涙を見せる
 ああ 泣き声など立てないでくれ わたしのパリよ

 歌ごえ湧き起こるパリ 怒りに燃えたつパリ
 だが旗は 洗濯場で水びたしになったままだ
 北極星にも似た 光放つ首都パリ だがパリは
 舗道の石畳をひっペがしてこそ パリなのだ

 アラゴンはこの詩の冒頭でドリュ・ラ・ロシェルに毒舌を返している。「わたしが呼吸をすると ある連中の生きる邪魔となり/何かの苛責で 彼らは夜もおちおち眠れぬのだ」と。そして「そこなる美女」──祖国フランスにたいする愛と熱情をあかしだてるために、国巡(めぐ)りをして、地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物、伝説などを呼び起こす。そこには『ローランの歌』のローランが祖国のために戦死したロンスボーの峠が歌われ、一七九二年のパリ・コミューヌの義勇軍による勝利の地マルヌ(ヴァルミ)が歌われる……。

 アルルから吹いてくる風には 夢がある
 その夢は 私の心そのものだから声高くは語れぬ
 オニスや サントンジュの黄ばんだ沼地を
 侵略者どもの戦車の轍(わだち)が踏みにじっているとき

 このくだりは、一九三七年十二月のフランス共産党アルル大会を暗に歌ったもので、この大会では「世界における高貴な使命を忠実に守ろう」と呼びかけたモーリス・トレーズの報告が採択されたのだった。そのトレーズの「マルセイエーズ」と「インターナショナル」とを統一しょうという民族的な政策は、アラゴンが詩において民族的伝統を採用し延長するのに大きな励ましとなった。そしてこの詩を読んだ多くの同志たちは大会を思い出して、アラゴンに手紙を書いた。
 一九四二年、チュニジア総督エステヴァ提督は、独仏休戦条約におけるドイツ側の大きな権限に不満で、自分の新聞で婉曲に「愛国心を喚起する」方法を探していた。愛国主義は、対独協力派やヴィシィ派の作家たちのあいだにはほとんど見当らなかったので、提督はついにアラゴンに書かせることにした。提督の使者が、ニースに住んでいたアラゴンを訪ねてきて、週一回いろいろな問題を扱った記事を書くように求めた。非公式とはいえ、その筋からの求めをすげなく拒るのは困難でもあり、危険でさえもあった。そこでアラゴンはドリュ・ラ・ロシェル にたいする反験として書きあげたばかりの「涙よりも美しきもの」をチュニスの新聞に発表することにした。
 一九四三年の初め、ド・ゴール将軍は「涙よりも美しきもの」の数行をアルジェ放送を通じて放送することになる。   (この項おわり)

   (新日本新書『アラゴン』)

アイスバーグ


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