リベラックの教訓(上)

ここでは、「リベラックの教訓(上)」 に関する記事を紹介しています。
 リベラックの教訓 

 ペタンが屈辱的な独仏休戦条約に署名したとき、アラゴンはフランスの南西部ドルドーニュ県の小さな町リベラックにいた。彼はそこで軍務を解かれ自由となる。
 「あの一九四○年六月二十五日、われわれはちょうど一三○○年の復活祭の夜明けのダンテとヴィルジルのように、地獄から脱け出ることになった。そして、
  そこにわれらの出口があってふたたび星を見た
 と、彼らのように言うことができたのはリベラックにおいてであった」
 詩集『エルザの眼』に収められている「リベラックの教訓」はこのリベラックの町で想を得たもので、この詩集の序文の「われは武勲(いさおし)と人間とを歌う……」とともに、この詩集を解きあかす鍵である。
 ナチによる占領、対独協力者たち、深い絶望に沈んでいるフランス人民……こういう状況のなかで、詩によって人びとの覚醒と決起を呼びかけ、国民の愛国心に訴え、希望を高くかかげるという任務は、ますます緊急なものとなっていた。フランス人民に呼びかけ、「生きているものにも死んだものにも声を挙げさせる」という歴史的要請を前にして、広範な人びとに向けてどのように訴えるか、どのように書くかが問題となってくる。かってシュールレアリストたちによって提起された、「なぜに書くのか」という問題はもはや時代錯誤でしかなかった。
 「わたしは人間とその武勲(いさおし)を歌う……いつにもましていまはその時である。二十年前、わたしは当時の友人たちといっしょに、『なぜ書くのか』という意地わるなアンケートを出したが、こんにち、それを問題にすることは無用である……」(「われは武勲(いさおし)と人間とを歌う……」)
 こうして十二世紀にさかのぼって、フランスの詩的伝統とその技法を見直し、革新し、延長することが、アラゴンの課題となる。それは「民族的な語り口」を回復するためでもある。
 フランスの十二世紀には、いわゆる中世騎士道物語や『ローランの歌』などの雄大な詩的主題がうたわれると同時に、フランス詩の最初の韻律形式、とりわけフランス詩の特徴的な要素となる脚韻が現われたのだった。
 リベラックが生んだアルノー・ダニエルもまた十二世紀の吟遊詩人で、中世騎士道における詩の表現法、表現形式を追求して「閉ざされた芸術」という手法を発見するにいたる。それは愛の歌を、聞かれてはまずい人の耳には聞かれずに、しかも愛をささげるひとの耳には聞こえるように歌うという手法である。アラゴンはこの「閉ざされた芸術」を現代に導入しようと夢みる。それは「それぞれの語に法外な重要さを与えながら」「読む」ことのできる人びとにその真意を伝えることである。これをアラゴンは「密輸(コントル・バンド)」の詩と呼ぶ。それは眼くばせの詩、ほのめかしの詩、暗号による詩である。 (つづく


   (新日本新書『アラゴン』

ひまわり

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2834-b945b9ba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック