『ランボオ』4.ランボオ家・「七歳の詩人たち」(上)

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 ランボオ家・「七歳の詩人たち」

 シャルルヴィル・ブルボン街のアパートに輝くランプは、二人の少年と二人の少女とランボオ夫人から成る一家を照らしている。この世界をこんな風にも描くことができよう。
 「ぼくの両親はあまり金持ちではなかったが、たいへん正直な人たちだった。全財産としては小さな家しかなかったが、その家はずっと両親のもので、ぼくがまだ生まれない二十年もむかしから両親のもので、数千フラン以上の値うちがあり、それにまた母親のためたへそくりをつけ加えねばならない……
 父親は王の軍隊の士官だった。痩せた大男で、黒い髪でひげを生やし、眼と肌は同じ色をしていた……ぼくが生まれた時、父親はおよそ四十八歳か五十歳であったのに、ほとんど五十八歳か六十歳に見えた。父親は怒りっぽくて激しやすい性格で、しばしば怒鳴りちらして、自分の気に入らないことは何んでも我慢しようとはしなかった。
 母親はまったくちがっていた。やさしい、もの静かな女で、ちょっとしたことにもおびえたが、家の中をきちんと整頓していた。母親がそんなにおとなしかったので、しばしば父親は、まるで若いお嬢さんをからかうように、母親をからかった。ぼくはいちばん可愛がられていた。」(『プロローグ』)
 これはランボオが八歳か九歳の頃に書いた想像の世界であり、作り話である。ここには、やさしい母親のイメージを夢みる少年ランボオの願望を見いだすことができる。
 しかし現実はまったくちがっていた。一八六〇年、ランボオが六歳の時、両親は離別していた。父親が家にいない淋しさを少年は痛感している。世間にたいして、ランボオ夫人はますますきびしく、品位を保って、りっぱに振舞って見せなければならない。
 ここでちょっと、ランボオの両親についてふれておこう。
 永いあいだ、ランボオの伝記のなかで、彼の放浪癖、冒険好き、飲酒癖、冒涜的な呪誼趣味などは父親ゆずりとされてきた。こんにち、じつさいのところはちがうことがわかってきた。
《Rimbaud, Edition Hachette57p》のなかで、アントワヌ・アダムはそう書いている。その論旨をたどってみよう。
 父親のランボオ大尉は優秀な士官で、その生涯はまったく誠実で、りっぱなものであった。彼は大の勉強家で、アラブ語の文法書を著わした。もしも彼の特徴で、その息子のなかに見いだされるものがあるとすれば、それは勉強好きの点であり、研究にたいする積極的な態度である。
 ランボオがその激しい性格をうけついだのは父親の方からではなくて、母親の家系からである。
 母親のヴィタリ・キュイフには二人の兄がいた。つまりランボオの伯父である。長兄のジャン・シャルル・フェリックスは、一六四一年頃、軽罪裁判所の判決を避けるために、アフリカの部隊に入隊しなければならなかった。もうひとりの兄はもっと悪かった。シャルル・オーギュスト・キュイフは飲んだくれては妻をなぐりつけた。妻は彼から逃げだした。彼は農業労働者となり、宿なしの浮浪者におちた。彼を知っている者の証言によれば、彼は鉄のように頑健で、優秀な頭脳をもっていた。しかし、怠惰と酒浸りによって、身をもちくずしたのである。彼はシャトー・ポルシオンの救済院で生を終えるが、死の床でも彼は最後の祈りを拒否して、わめきちらしながら赤ぶどう酒を要求したのである。 
 ランボオの母親はその兄たちとはちがって見えたとしても、やはりキュイフ家のひとりであった。彼女もまた二人の兄のように、強情な意志と野性的な精力の持ち主であった。ちがっていたのは、彼女はこの強い意志と精力を傾けて、ブルジョワ的な厳格さをもって、恥かしくないりっぱな家庭をつくろうとした点である。
 ランボオ大尉と彼女との結婚は恐らく幸せなものではなかった。二人が知り合ったのは、シャルルヴィルの駅前公園で軍楽隊の演奏会がひらかれた夜であった。結婚しても二人が会えたのは、大尉の休暇のあいだだけであった。それで五人の子供が生まれた。ひとりは早く死んだ。一八六〇年八月、ランボオ大尉がシャルルヴィルからさらに西北の、ノール地方のカンプレの駐屯地に転任になってから、夫婦の別離は決定的なものとなった。
 そのときから、家族を養い育てるという重荷が彼女の肩にかかってきた。生活は彼女にとってきびしいものであった。一八五八年、彼女の父親が死んだ時、彼女はシャルルヴィルの南方のロッシュ村にいて、父親からうけついだ農場を管理していた。しばしば彼女は、あのやくざな兄が彼女の家に住みたいと言って来るのを追い払わねばならなかった。こういう若い頃の彼女の苦労、困難、兄たちの醜聞や不始末を知らなければ、彼女が家の遺産と名誉をまもるために異常な努力を傾けたことが理解できないだろう。
 しかし、どうして彼女は、自分の子供たちや隣人たちや世間にたいして一徹で強情な態度をとらねばならなかったのだろう?彼女を知っていた者はみな、彼女は怖るべき女だったという。ランボオの恩師イザンバールは書いている。「ていねいな言葉の影もなければ、やさしい応対もなければ、まったく礼儀正しい感謝の念もない」と。ランボオの友人のルイ・ピエルカンはいう。「彼女が笑ったり、微笑んだりするのを一度も見たことがない」と。彼女は鉄の女であったばかりでなく、氷の女でもあった。
(つづく)

鉄の女

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