『ランボオ』3.ランボオとその時代

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 ランボオとその時代

  ジャン・ニコラス・アルチュール・ランボオは、一八五四年十月二十日、北仏アルデンヌのシャルルヴィルで生まれた。父親フレデリック・ランボオは、メジェール駐屯の歩兵連隊付大尉であった。母親ヴィタリ・キュイフはロッシュの小地主の娘であった。
 ランボオの生まれた一八五四年には、三年前の一八五一年十二月二日のクーデターによって皇位を纂奪した、ナポレオン三世の第二帝制が始まっていた。パリ・コミューヌを扱った大佛次郎の『パリ燃ゆ』の冒頭には、このクーデターの模様が詳しく描かれている。大ナポレオンの甥のルイ・ナポレオンによるクーデクーの陰謀、そのために恐怖をふりまく、恐怖をふりまくために無辜の市民たちを虐殺する、──この犯罪をヴィクトル・ユゴーは『ある犯罪の物語』のなかに記録した。
 『パリ燃ゆ』からちょっと引用しよう。
 「……街にいるのが罪悪とされ、家の中にいるのも罪として咎められた。人殺しは屋内に踏込んで来て存分に人を殺した『やっちまえ』と兵士たちは喚(わめ)いていた。
 ポアッソニエル街一七番地の書店の主人は戸口に立っていた。彼らは、これを殺した。……ランクリ街五番地の家主チリオン・ド・モントーバンが、やはり門口にいて殺され、チクトンヌ街では道を歩いていた七歳の少年ブールシェがやられた。タンプラ街一九六番地のスウラック嬢は窓をあけたところを射殺された。……
 ユゴーは、しつこく、こう言う陰惨な挿話を挙げて書き残している。凄惨で目もあてられぬような地獄の情景なのである。この容赦ない流血が権力のある立場の暴虐な性格をパリの労働者に思い知らせ、深く記憶させて、二十年後のコミューンの内乱の折りの抵抗の気力を培ったものなのだが、この場合の市民は、すべて無関心でいたものを、不意に軍隊の襲撃を受けたのである」(大佛次郎ノンフィクション全集第三巻『パリ燃ゆ』八一ページ)
 一八五一年十二月の血なまぐさいクーデターが、二十年後の一八七一年三月のパリ・コミューヌの「抵抗の気力を培ったものなのだ」という大佛次郎の指摘は重要なものである。こうして一八五〇年代初頭に生まれた者は、パリ・コミューヌの折に青春を迎える世代として生まれついたのだった。それに参加すると否とにかかわらずに──。
 ナポレオン三世の第二帝制は一八五二年から始まった。そして選挙において、体制側の候補者は、たとえばつぎのようなポンジボーの炭坑労働者にたいする呼びかけによって、選挙民に圧力を加えることができた。
 「勇敢な炭坑労働者諸君、選挙が迫ったこの時、余は諸君に若干の忠告を呈することを余の義務と信ずる。余の忠告をよく聞かれたい……ドュ・ミレイユ氏に投票することは、ルーエ氏に投票することである。それは諸君の炭坑の繁栄を保証するものである。それは諸君の生活の手だてであり、諸君の子供たちを諸君のような勇敢で正直な人間に育てあげる手だてである……」(南仏中央山地プュイ・ド・ドム古文書。ポンジボー炭坑もこの地方にある)こんにちで言う「会社ぐるみの選挙」をおしつけたのである。
 一方、クリミヤ戦争を始めたフランス軍はセバストポリに迫っていた。
 一八五四年十月に生まれた子供たちは、すでにこの呼びかけと同じ轍(わだち)のあとを辿るように運命づけられていたのである。
 一八五四年に生まれて、一八七三年に十九歳を迎える者たちにとって、その世界とはいったいどんなものだったろう? 為政者の公約は、秩序、治安、平和である。ランボオは彼の同世代人とともに彼の時代を見いだす。この平和がやがて普仏戦争におけるフランスの敗北という破局につながり、その治安が不平等を小さくするどころかますますそれを増大させるのを、まもなくランボオは見ることになる。はっきりしているのは秩序である。家族や、学校、御用文学や宗教をとおして秩序が強制される。そこからごく自然に「生を変えよう」という要求が出てくる。そしてランボオは未成年者の執狂をもって、ちがったほかの世界を夢みるようになる。
 少年のランボオは、旅行者というよりはむしろ放浪者の好奇心をもって世界を見る。家にあった絵本や地図などが、遠くのほかの土地へ行きたいという夢をはぐくむ……。
   (新日本新書『ランボオ』)

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