西條紀子さんに話を伺う(中)

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4)同潤会青山アパートのこと
昭和51、八束さんと結婚して実家近くの横浜元町に、次いで自由が丘に住んだ。都立大学勤務の八束さんの通勤が大変なので母親の晴子さんが表参道の同潤会青山アパートを購入してくれた。同潤会アパートに住んでいた頃、よく博光が訪ねてきた。トントンとドアをたたく音がして行くと博光だった。神宮球場で野球を見た帰りだった。遊びに来ていた晴子さんと鉢合わせになると、「あの時の娘さんはどうしたの?」と晴子さんがからかって聞いた。いやー勘弁して下さいよと博光。
4年住んだあと、成城の西條八十宅の近くの家に移った。晴子さんが孫たちと一緒に暮らしたいと思って買ってくれたのだが、八束さんが名古屋大学に勤めることになったため、1年で名古屋に引っ越すことになった。
(2007年に八束さんが亡くなられた後、紀子さんは名古屋から表参道に戻っています)

5)三井ふたばこ(西條嫩子)と洋行したこと
三井ふたばこは国際詩人会議と関係があり、会合に出るために何回かベルギーに行った。通訳をパリ在住の鮎沢露子に頼んでいたが、1974年の会合のとき、鮎沢露子の都合がつかないため、通訳を頼まれてお供をした。会合で海をテーマに詩を書く課題がだされた。フランス語の詩を書くのは無理だと思ったが、ふたばこは「いいわよ」と言ってすぐに日本語で書いた。それをフランス語に訳すのに苦労した。
1990年、最後のベルギー行きの時、ふたばこの体調は悪かった。ベルギーについてから「なんでここにいるの?」と言ったりして尋常でなかった。帰国して1か月後に脳梗塞で亡くなった。
*三井ふたばこは詩人で、西條八十の長女。日本詩人クラブ会長を歴任、詩集や『父西條八十は私の白鳥だった』などの著作がある。

6)「ジャン・クリストフ」のこと
33歳の頃に原文の冒頭を読んで素晴らしく、これは読まなければと思った。
「ジャン・クリストフと呼ばれることになる赤子が揺籠のなかにいて、窓からは雨で流れの強くなった川の―ライン河の支流なのだが―轟々とした音がきこえてくる。部屋のなかは湿気が立ち込めている……」
ロマン・ロランの文章はとても構成的で、ベートーヴェンの交響曲を聴いているよう。
だけどいまだに完読できていない。
サン=テグジュペリの「プティ・プランス」だけは原文で丹念に読んだ。

(つづく)

スケッチ展

西條紀子スケッチ展にて(2011年10月 東京 神保町)

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