西條紀子さんに話を伺う(上)

ここでは、「西條紀子さんに話を伺う(上)」 に関する記事を紹介しています。
尾池さん、暁輝さんと一緒にお訪ねし、興味ある話を伺いました。

1)画家・山本蘭村のこと(紀子さんの絵画の恩師)
山本蘭村は戦時中召集されて満州と南方(ベトナム)に出征した。体を壊して(腎臓病か)帰国し、軽井沢に疎開した。
そこで啓明学園の図画と教練の先生をやった。(啓明学園は戦争で東京から疎開していた。紀子さんも東京で啓明学園の生徒だったので、軽井沢に疎開してからも通学した)教練の時間、体力のない蘭村はハーハーして生徒に遅れて走っていた。当時軽井沢には外国人が多く住んでいた。まとめて当局が監視するためか。蘭村は白系ロシア人のような風貌で、外人と話しをすると、あとから警察がきて、何を話したのかと追及されていた。
敗戦になってから山本蘭村の家に行った。紙を渡され、絵を描いてみませんか?といわれ、オルゴールを描いた。それから絵を描きに行くことになった。

2)啓明学園
博光の友人の鮎沢露子も啓明学園の英語の先生だった。
啓明学園は敵性語(英語)を教え続けたとして、二ヶ月で閉鎖命令がだされて閉鎖してしまった。
何もしないで家にいると軍需工場に動員されるので保育園の雑役をやった。

3)詩人・龍野咲人との交流
龍野咲人は軽井沢小学校の先生で、弟が教わっていた。家は小諸にあり、三人の娘がいた。よく遊びに行った。(八束さんと龍野咲人と親交があったため*)
龍野咲人の没後、家はなくなり、大きな木だけが残っている。

*<もともと信州出身の大島さんは、小諸におられた信州で著名な詩人だった龍野咲人氏や、戦争で体調を崩して除隊になり、帰国して軽井沢におられた、有島武郎の甥の画家、山本蘭村氏を紹介してくださった。私は龍野さんをしばしば訪ねて文学の話を聞いたり、下手な絵を描いて蘭村さんのところへ携えていったりした。>(西條八束「大島博光さんをしのんで」)

(つづく)

西條紀子

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2823-5bc76e7c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック