丹野茂「太郎挽歌」

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  太郎挽歌 
                丹野茂

燃えつきた鑞のようになって太郎は死んだ。
白いヴェールのそとは深い暗闇。
すすりなきや鳴咽(おえつ)とともに太郎はほろんだ。

  二十ワットの星明り
  古ぼけた家は慣習にとざされて 暗く
  貧しさにいざこざの絶間もない。
  父母(ちちはは)とともに太郎はそこに生活し
  とらわれの「宿命」の
  その変革に若者の生命(いのち)をかけた。

  太郎よ
  ちからつきて死んだ太郎よ。
  太郎の心はかえってこない。
  太郎は 苦悶の顔をひとの心にのこして死んだ。

すすりなきや鳴咽とともに夜はきて
夜は夜でかわりがない。
 ──仏壇にはかぼそい灯りのもえる音。
 ──屋根裏のくもの巣のなかでは鼠の騒音。
 ──鶏舎の白鶏の狂いなき。
その夜に小川はながれ
夜を徹して小川はながれ
いずこへともなくながれてゆくのである。

夢が夢をこえることへのかすかな期待。
期待を抱いて太郎はほろび
太郎のなかに芽生えた数多くの夢も力も行動も
太郎とともにほろんでいった。
そしてひとびとは いまも深い忍耐のなかに落ちている。
貧困と 疲労と そこからくる無智をだいて
びとびとはどこへ押しながされてゆくのだろう。
どこへ押しながされてゆくのだろう。

夜はふけて
まばらにともる灯りも消えた。
眠るために
闇のなかにいすわるために灯りも消えた。
だが しかし 空のいろだけはかわらない。
空は暗黒の夜をのみ
そのちっぽけな住居をのんで
底青い瞳のようにひかっている。
──静寂のなかにいきづいている。

そして その天の一角に
太郎はいまもほほえんでいるのかも知れない。
太郎の顔は面やせ 眼はくぼみ
肺は病菌にむしばまれ
かっての 頑健な 農夫としての姿なく
淫虐な唇もあるにはあったが
太郎の眼はすみきっていたから
そこには部厚な闇をつきぬけた太郎のほほえみがあったから
太郎は 自己の そしてわれわれの勝利を信じていたから
自分が捨石にすぎないことを知っていたから
それが ぬきさしならない魂の要求であったから──

太郎は いまも わたしたちをみつめている。
厳粛な だが やさしい眼でみつめている。
生きることは絶間のない闘争であることを
夢みるものは死も恐れないということを
死をのりこえて さらに新しいものが湧きあがってくることを
太臥は いまも語っている。


   (詩集『硫黄』)

北穂高にて
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