『ランボオ』2.生地・シャルルヴィルへ(1)

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 生地・シャルルヴィルへ

青春の数年、詩と生をひき離すことなく、無類に美しい詩を書いた詩人、そしてたちまちその天才的な詩筆を投げすててアフリカの砂漠の中へ行ってしまった男─アルチュール・ランボオほど、二十世紀の詩の世界に大きな影を落しつづけている詩人はいない。毎年たくさんのランボオ研究が出版されてもいる。ブルジョワを憎悪したこの詩人が、日本のテレビのコマーシャルにとりこまれたり、酒場の名前にもなっている。
 わたしも若い頃、学校の卒業論文のテーマにランボオを選んだものだが、それからおよそ五十年後に、またランボオとつきあうことになって、やはり深い感慨をおぼえる。どこまでつきあえるか、永遠の青年詩人ランボオのあとを追ってみることにしよう。

 ランボオ博物館
 ランボオ主義という言葉がある。それについてアラゴンはこう書いている。「……最近の二十五年間のランボオ主義の特徴である受けとり方の時代も過ぎ去ったのだ。ランボオ主義という半ば宗教に近い受けとり方のことだ……つまりわたしの言いたいのは、ランボオを、まったくの理想的天才として考え模範的な人物とする受けとり方のことである。すなわち天才的存在というものには一点の欠点もないものだとする考え方で、そう考えることによって神のようなものに仕立て上げ、もしそれについて議論でもしようものなら、それは悪罵となり冒涜の言葉となるというものなのだ」(飯塚書店『アラゴン選集』第二巻、二五九ページ、服部伸六訳)
 このようなランボオ主義に陥らないためには、できるだけランボオをその時代の現実の光に照らしてみる必要があろう。その方途のひとつとして、ランボオの故郷シャルルヴィル紀行から始めることにしよう。
 正面の破風(フロントン)に浮彫りの飾りをいただいた、ネオ・クラシック風なパリの古い東駅(ガール・ド・レスト)。この東駅からランボオの故郷シャルルヴィル─いまはシャルルヴィル・メジエールと呼ばれている─へは急行で二時間半ほどの距離だが、そこはもうベルギー国境に近い。─わたしが訪れたのは一九七四年八月であった。
 パリを離れると、なだらかで広い小麦畑、とうもろこし畑、ぶどう畑が、これまた広大な森とこもごもにつづく……部落や人家というものがたいへん少い。シャンパーニュのひろいぶどう畑のうえに、ランスのカテドラルの尖塔がひょっこり小さく現われたりする。
 やがてあたりはもうアルデンヌの野である。「風の靴を穿(は)いた男」ランボオが、パリをめざして風のように歩いた野である。普仏(ふふつ)戦争や二回にわたる世界大戦では激戦地となった野であり、第二次大戦ではドイツの機械化部隊がムーズ河を渡り、この美しい野に轍の跡を刻み、パリに向けて怒涛の進撃をつづけたのだった……しかし、いまはそんな爪跡は見えない。ほとんど山も見えず、ときおり低いなだらかな丘が見えるばかり。川も濃い緑色によどんだまま、流れるともなくゆっくりと流れている。ときおり舟を浮べたり岸べで釣り糸を垂れている人が見える……。
 ランボオがさまよい歩いたのは、この野である。

     わが放浪

  おれは出かけた 破れポケットに拳をつっこんで
  おれのマントもまた かたちばかり
  おれは空の下をゆき 美神(ミューズ)よ
      おん身に忠実だった
  おお おれはなんとすばらしい恋を夢みたことか

  おれの一張羅のズボンにも 大きな穴
  ──夢みる一寸法師のおれは 歩きながら
  脚韻(うた)をもいだ おれの宿屋は 大熊星
  ──おれの星は空で やさしくささやいていた
  おれはそれに聞き入った 街道のはたで
  心地よい九月の夕ぐれ おれは額のうえに
  強い酒のような 露の滴りをおぼえた
 
  幻想的な影のなかで 詩をつくりながら
  おれはぼろ靴のゴム紐を弾き鳴らしていた
  竪琴のように 片足を胸にかかえこんで!

               (つづく)

(新日本新書『ランボオ』1987年)

ムーズ川
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