すべてを語ろう
エリュアール
大島博光訳
すべてが語られねばならぬのに わたしには
ことばが足りぬ 時間が 大胆さが足りぬ
わたしは夢みて あてもなく影像をくりだす
わたしは生きそこね はっきり語るすべを学びそこねた
すべてを語ろう 岩を 街道を 石だたみを
町通りと道ゆくひとを 野原と羊飼いを
春のやわらかなうぶ毛を いてつく冬の錆を
木の実をうれさせる 寒さと暑さを
わたしは歌いたい 群衆を 人間の細かいうちわけを
人間を勇気づけるものと絶望させるものを
人間がその季節きせつにあかし見せるすべてのものを
その希望と 血とを その歴史と苦しみとを
わたしは歌いたい ひき裂かれている茫大な群集を
墓地でのように しきられ区ぎられた群衆を
そうしてその汚れた影よりも強くたくましい
壁をうち破り 支配者たちにうち勝った群衆を
はたらく手の家族を 木の葉たちの家族を
そうしてひとごこちもなくさまようけだものを
大地を肥えさせる豊かな流れと つゆを
根をはったしあわせのうえに立った正義を
*
子どもの人形や ボールや よいお天気から
その子の幸福をわたしはおしはかれるだろうか
ひとりの男の妻や子どもたちにかわつて
その男の幸福を語る勇気がわたしにあるだろうか
愛とその理性をわたしはあらわにしるだろうか
その鉛のような悲劇を わらのような喜劇を
愛を月なみなものに変えるきまりきったしぐさを
愛を永遠なものに変えるやさしい愛撫を
ひとが善から美をつくるように わたしは
こやしをとりいれに結びつけうるだろうか
そうして機械的な世界とよろこびの世界とを
必要と欲望とを はっきり対照させられるだろうか
怒りの茫大なつばさのかげの 憎しみで
憎しみを清算し 犠牲者をさししめして
強圧者どもをうちくだくに足ることばが見つかるだろうか
革命ということばを色どることができるだろうか
確信にみちた眼のなかのあけぼのの自由な光り
何も似てはいない すべては新しくすばらしい
わたしはきく ささいな言葉がことわざになるのを
苦悩を越えたかなたで 知性は素朴なのだ
*
孤独がつくりだすかずかずのおろかな狂癖に
わたしは反対だと どれほどまで言えるだろうか
あの狂癖から身が守れず すんでにわたしは死ぬところだった
縛られ猿ぐつわをはめられた英雄が狂い死にするように
わたしは すんでのことにあの狂癖のために
身も心も精神ももち崩すところだった かたなしに
しかもまた われらをとりまく腐敗とだらくと
おもねりと戦争 無関心と犯罪という形をとって
すんでにわたしは兄弟たちに追いだされるところだった
彼らの斗争を少しも理解せずに わたしはうぬぼれていた
現在というものを充分にとらえていると思いこんでいた
しかも明日の日については少しも考えつかなかつた
それにもかかわらず いまわたしがあるのは
生活のなかみを知ていたひとびとのおかげだ
じぶんの道具をたしかめ こころをたしかめ
手を握りあって立ちあがったひとびとのおかげだ
ひとびとは絶えまなく ひだのない人類にくわわる
歌ごえはわき上がり 歌ごえは告げる 死に抗し
こびと たわけと見さげられた穴倉暮しに抗して
われらの未来を高くかかげたひとたちの歌を
たるが ほの暗く立ちならんだ酒倉のとびらが
ついにぶどう畑にむかってひらかれ 畑では
ぶどう酒がぶどう作りのことばをつぶやきながら
太陽をわがものにするとわたしは語れるだろうか
女たちは 水や石のように 裁たれる
やさしく或いはかたくなに 軽やかにまた重く
鳥たちはほかの空間をよぎつて飛んでゆき
飼い犬は ふるい骨をさがしてうろつくだろう
もう深夜も ふるびた歌まじりに秘蔵の宝を
ひねくりまわす老人にだけ こだまを返す
夜のこの時刻もむだには過ごせぬ ほかのひとびとが
眼をさましてから やっとわたしは眠るだろう
頬のうえのよる年なみのしわをしめしながら
わたしは言いうるだろうか 青春にまさるものは何もないと
花が咲き種子がとび散ってから果てしなくつづく
あの生命のつらなりにまさるものは 何もないと
卒直なことばと現実のものごとから出発して
確信は前進していくだろう もどることなど考えず
わたしは希う ひとは問いたずねる前に答えてくれるよう
そうして異国のことばを話すものは誰もいないだろう
そうして屋根をふみ鳴らしたり 町々を焼き払ったり
死者を山と積みあげようなどと誰も思わぬだろう
なぜなら 時代を信じさせ たった一つの泉のように
建設に役だつすべてのことばをわたしは見つけるだろうから
笑わねばならぬがひと人はすこやかに笑うだろう
いつでもみんなが兄弟だと笑いあうだろう
愛されることを愛しあうとき みんなほかの人たちと
うまくいくだろう ちょうどじぶん自身とのように
こころ良い身ぶるいが くるしみのうねりにとつて
代わるだろう 海よりも新鮮な生きるよろこびで
わたしがきのうを消しさるために きょう書いたこの詩を
うたぐらせるようなものは もう何もないだろう
(『角笛』21号 1961年12月)
エリュアール
大島博光訳
すべてが語られねばならぬのに わたしには
ことばが足りぬ 時間が 大胆さが足りぬ
わたしは夢みて あてもなく影像をくりだす
わたしは生きそこね はっきり語るすべを学びそこねた
すべてを語ろう 岩を 街道を 石だたみを
町通りと道ゆくひとを 野原と羊飼いを
春のやわらかなうぶ毛を いてつく冬の錆を
木の実をうれさせる 寒さと暑さを
わたしは歌いたい 群衆を 人間の細かいうちわけを
人間を勇気づけるものと絶望させるものを
人間がその季節きせつにあかし見せるすべてのものを
その希望と 血とを その歴史と苦しみとを
わたしは歌いたい ひき裂かれている茫大な群集を
墓地でのように しきられ区ぎられた群衆を
そうしてその汚れた影よりも強くたくましい
壁をうち破り 支配者たちにうち勝った群衆を
はたらく手の家族を 木の葉たちの家族を
そうしてひとごこちもなくさまようけだものを
大地を肥えさせる豊かな流れと つゆを
根をはったしあわせのうえに立った正義を
*
子どもの人形や ボールや よいお天気から
その子の幸福をわたしはおしはかれるだろうか
ひとりの男の妻や子どもたちにかわつて
その男の幸福を語る勇気がわたしにあるだろうか
愛とその理性をわたしはあらわにしるだろうか
その鉛のような悲劇を わらのような喜劇を
愛を月なみなものに変えるきまりきったしぐさを
愛を永遠なものに変えるやさしい愛撫を
ひとが善から美をつくるように わたしは
こやしをとりいれに結びつけうるだろうか
そうして機械的な世界とよろこびの世界とを
必要と欲望とを はっきり対照させられるだろうか
怒りの茫大なつばさのかげの 憎しみで
憎しみを清算し 犠牲者をさししめして
強圧者どもをうちくだくに足ることばが見つかるだろうか
革命ということばを色どることができるだろうか
確信にみちた眼のなかのあけぼのの自由な光り
何も似てはいない すべては新しくすばらしい
わたしはきく ささいな言葉がことわざになるのを
苦悩を越えたかなたで 知性は素朴なのだ
*
孤独がつくりだすかずかずのおろかな狂癖に
わたしは反対だと どれほどまで言えるだろうか
あの狂癖から身が守れず すんでにわたしは死ぬところだった
縛られ猿ぐつわをはめられた英雄が狂い死にするように
わたしは すんでのことにあの狂癖のために
身も心も精神ももち崩すところだった かたなしに
しかもまた われらをとりまく腐敗とだらくと
おもねりと戦争 無関心と犯罪という形をとって
すんでにわたしは兄弟たちに追いだされるところだった
彼らの斗争を少しも理解せずに わたしはうぬぼれていた
現在というものを充分にとらえていると思いこんでいた
しかも明日の日については少しも考えつかなかつた
それにもかかわらず いまわたしがあるのは
生活のなかみを知ていたひとびとのおかげだ
じぶんの道具をたしかめ こころをたしかめ
手を握りあって立ちあがったひとびとのおかげだ
ひとびとは絶えまなく ひだのない人類にくわわる
歌ごえはわき上がり 歌ごえは告げる 死に抗し
こびと たわけと見さげられた穴倉暮しに抗して
われらの未来を高くかかげたひとたちの歌を
たるが ほの暗く立ちならんだ酒倉のとびらが
ついにぶどう畑にむかってひらかれ 畑では
ぶどう酒がぶどう作りのことばをつぶやきながら
太陽をわがものにするとわたしは語れるだろうか
女たちは 水や石のように 裁たれる
やさしく或いはかたくなに 軽やかにまた重く
鳥たちはほかの空間をよぎつて飛んでゆき
飼い犬は ふるい骨をさがしてうろつくだろう
もう深夜も ふるびた歌まじりに秘蔵の宝を
ひねくりまわす老人にだけ こだまを返す
夜のこの時刻もむだには過ごせぬ ほかのひとびとが
眼をさましてから やっとわたしは眠るだろう
頬のうえのよる年なみのしわをしめしながら
わたしは言いうるだろうか 青春にまさるものは何もないと
花が咲き種子がとび散ってから果てしなくつづく
あの生命のつらなりにまさるものは 何もないと
卒直なことばと現実のものごとから出発して
確信は前進していくだろう もどることなど考えず
わたしは希う ひとは問いたずねる前に答えてくれるよう
そうして異国のことばを話すものは誰もいないだろう
そうして屋根をふみ鳴らしたり 町々を焼き払ったり
死者を山と積みあげようなどと誰も思わぬだろう
なぜなら 時代を信じさせ たった一つの泉のように
建設に役だつすべてのことばをわたしは見つけるだろうから
笑わねばならぬがひと人はすこやかに笑うだろう
いつでもみんなが兄弟だと笑いあうだろう
愛されることを愛しあうとき みんなほかの人たちと
うまくいくだろう ちょうどじぶん自身とのように
こころ良い身ぶるいが くるしみのうねりにとつて
代わるだろう 海よりも新鮮な生きるよろこびで
わたしがきのうを消しさるために きょう書いたこの詩を
うたぐらせるようなものは もう何もないだろう
(『角笛』21号 1961年12月)
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