木村廣「小白川の詩人たち」(7)丹野茂の労働詩

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反戦詩のながれ あしたへの脈絡──小白川の詩人たち(7)

丹野茂の労働詩

 丹野茂は五反百姓に生まれ、海軍を志願、実戦を経験する。敗戦となり、大蔵村萩野村で土地開墾の仕事に就いた。「蕎麦」は、その時代の初期作品である。

   蕎麦
・・・
この痩せ地からありったけのちからをすって
おれたちはけさも素朴な顔で素朴にほほえもうとする
 ─ 蝶は死んだ
 ─ 蜂も死んだ
 ─ 蚊も死んだ
みんな生活の花園をもとめ もとめあぐねて
かよわいはばたきをのこして
おらたちのまわりをとびくるい
とびくるいつきてこごえ死んでいったものたちだ
おらたちの顔にもしわがよって
おらたちの顔は土いろだ
土に芽生えたおらたちが 土に根をはって生長し
一粒一粒の実になって ぽろぽろと涙のように大地にちってゆくのだ
・・・

なつかしい川と山

 土谷麓は、1962年9月3日、腎性高血圧がもとで、49歳でなくなった。
 斎藤林太郎は、1994年8月28日、急性心不全のため、77歳でなくなった。
 丹野茂は、その翌年1995年7月5日、脳梗塞のため、66歳でなくなった。
 土谷と斎藤と三人で義兄弟の盃を交わしたという村川幸次郎は、毎日新聞記者をやめたあと、「劇団山形」の発足を指導し、わたしも土谷に紹介され、いろいろ教えてもらった。同じく同年代を生き、いまなお絵筆を握る画伯、布施哲太郎さんは、村川と山中(いまの山東高)同級で、丹野の詩集「硫黄」の装丁を仕上げるなど、小白川との交流がふかい。大正ロマンの匂う、小白川ゆかりの芸術創造家と会えるのは、わたしだけになった。

 わたしが土谷の土地をわけてもらい、馬見ヶ崎河畔に家を建ててから久しい。
 わが家に近く、馬畔の風景をワイドに眺められる喫茶店がある。土谷麓が愛したチャイコフスキーならぬ世界の音楽を聞きに行く。
 なつかしい川と山を前にして、小白川の詩人たちの風貌と声をしのびながら、あしたへの脈絡と二十一世紀の平和をおもう。(了)

小白川の詩人


*小白川の詩人たちについて語り継いできた木村廣さんも今年の7月22日に亡くなりました。木村さんが本連載をはじめ、「詩人会議」などに書き残された文章は貴重です。「新やまがた」に連載された記事の利用を承諾くださった木村廣さんの奥様に感謝します。
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