木村廣「小白川の詩人たち」(6)斎藤林太郎と市民運動

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 反戦詩のながれ あしたへの脈絡──小白川の詩人たち(6)

 壁──入営に近い日に

のけられない熱い壁
俺はもはや野良着も地下足袋も脱がねばならない
そこはどんなに暗く悲しいかを知っている
そこでは火でない火が燃えている
そこには忍従があるばかりだ
森や村や友ともお別れだ
俺は沼底のような予感に悶えながら
深夜の薄い布団にちじこまる
冷たく窓から入る夜気
窓をよぎる黒い旗々
あの日の岩陰のぬくもりよ
あの一面の黄色い落葉
紅とみどりの斑点模様の高い崖よ
暗い夜の吸い込まれそうな星々が
俺を呼んでいる

 斎藤は、除隊して東京の連隊に帰還すると、在京していた土谷麓の案内で、前田夕暮の自宅「青樫荘」を訪ねる。戦後間もなく、夕暮が斎藤茂吉の生家を訪ねるため、山形に来たとき、仙台、栃木の詩友と土谷麓と上山に同行する。夕暮は、斎藤宅に三泊する。百姓と軍隊の経験しかないと言いながら、斎藤はすぐれた詩魂をもつ知識人だった。歌集『炎天』、郷土史『馬見ヶ崎川流域の変遷』、詩と旅行記『シルクロード紀行』の著書がある。わたしが、「農、自然、反戦の詩魂−斎藤林太郎の作品とその周辺−」を『詩人会議』一九九九年(平成11)六月号に書いた。

 斎藤は、一九七〇年(昭和45)の真壁仁を実行委員長とする「安保廃棄・山形文化の集い」で自作詩を朗読。丹野茂、木村廣も参加する。一九八八年(昭和63)の「第十三回反戦・詩人と市民の集い山形集会」で実行委員長となる。県内は勿論、全国から増岡敏和ら著名な詩人が集まり成功した。丹野茂、木村廣が主要な役割りを果たした。
一九九〇年(平成2)、「馬見ヶ崎川と北蔵王の自然を守る会」の代表世話人となり、新たなスキー場の開発を止めさせ、成功に導いた。

小白川6

 
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