木村廣「小白川の詩人たち」(3)山形市立第八小学校校歌

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反戦詩のながれ あしたへの脈絡──小白川の詩人たち(3)

博光が山形大学で講義
1962年9月、土谷麓の葬儀に参列した博光は、丹野茂が暮らす蔵王鉱業所の社宅に泊まり、翌日、山形大学フランス語教授だった新関岳雄に請われて山形大学で学生に講義をした。

土谷麓が作詞した山形市立第八小学校校歌
 山形市立第八小学校が、新しく建てられたのが、一九五三年、二年経って校歌ができた。作詞を土谷麓が、今泉和男が作曲をした。土谷麓の作品を決めることに小白川衆の一部が反対したのに対し、初代校長新関孝平が、土谷が共産党であろうとなかろうと関係ない、作品次第であるとした秘話がある。骨のある真の教育者だったとこころ打たれる。古武士の風格の校長だった。
 56周年記念式典で当時の校長が「これまでいろいろな学校でたくさんの校歌を歌ってきたが、歌詞もメロディも素晴らしい、夢と希望が湧いてきます」と挨拶し、二人の拡大した写真を出して紹介した。

小白川の詩人たち

校歌



夕食中、川の風景と「馬見ヶ崎川」の文字がテレビに出たのであわてて録画。ところが鶴瓶の紀行番組で、「日本一の芋煮会」の現場を見にいく場面でした。巨大なナベを使うこの「日本一の芋煮会」、毎年イベントニュースで流れますが、会場が馬見ヶ崎川だということを初めて認識しました。このイベントのサイトでマップを見たところ、第八小学校と山形大学がすぐ近くであることがわかりました。地図

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