池田錬二さん略歴

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 池田錬二さん略歴

 1919年、長野県下伊那郡座光寺村(現在飯田市に合併)に生まれる。飯田中学、第一早稲田高等学院文科から早稲田大学法学部を、1942年戦時特令のため9月繰り上げ卒業。徴兵検査第二乙種で現役入隊免除、日本通運株式会社に入社、札幌支社旭川支店勤務、7カ月後札幌支社に戻る。1944年1月召集、東部1991高射砲部隊入隊、しばしば空襲にあう。1945年東京都拝島で敗戦、11月米軍に陣地を引き渡して帰郷、翌年5月再度渡道、日通札幌支社に復職、日通労働組合青年部の活動で組合運動に目覚める。1947年7月、日通を辞め教育の道へ。下伊那郡山吹村新制中学をふり出しに、上郷中学、木曽山林高校、桔梗ヶ原高校(定時制)、松本須々ヶ丘高校と5校35年勤めて、1982年退職。

 1964年、県歴史教育者協議会結成、32年間委員長。同年松本労演創立に参画、同委員長8年。平和委員会、日本と中国友好協会ほか多数の平和、大衆運動に力をそそぐ。
 文学運動では短歌誌、空穂主宰の「槻の木」、近藤芳美主宰の「未来」に属し(「槻の木」「未来」現在退会無所属)、「詩人会議」「信州詩人会議」「戦争に反対する詩人の会」「民主主義文学同盟」同「松本支部」等に所属。

 著 書
「長野県の教育に夜明けを」1・2集、「甦れ平和教育!」
 文学関係では青春歌集「初花」「愛と歴史の十字路」前・後編、連作詩集「蝗軍」1・2集、「抵抗の系譜」、妻との共同詩集「明日への二重唱」、合同歌集「群芳」「河」「嶺」「伊那」短編小説集「戒名なき墓標」「雪嶺を越えて」、合同詩集「21世紀へのメッセージ」詩人会議編、反戦詩人の全編「反戦の声」15周年記念集、合同詩歌集多数。
 歴史関係では「おはなし歴史風土記・長野県」「長野歴史散歩」「僕らの街にも戦争があった」「戦争を掘る」ほか多数。
 他に日記がわりの個人ミニコミ誌「露滴山房おりおりの記」を月刊12冊、季刊4冊年16冊、77号まで出し継続中。

<『小説「二・四事件」 赤いホオズキ』(1996年 章文館)より>

*1987年6月21日、第十回「反戦・詩人と市民のつどい」(松本市あがたの森文化会館ホール)で実行委員長。

池田錬二さん

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