バンドン会議とうたごえ運動(2)

ここでは、「バンドン会議とうたごえ運動(2)」 に関する記事を紹介しています。
「ハローハローバンドン」が日本に持ち込まれた経緯が『グレート・ラブ 関鑑子の生涯』に書いてあると教えて下さいました。

   ◇   ◇   ◇
 国際交流の展開

 一九六〇年代、「うたごえ運動」の国際交流は活発に進められた。
 一九六三年、"We shall overcome"などの歌で知られ、アメリカの公民権運動の先頭に立っていたフォーク・シンガーのピート・シーガーが来日。「組合列車の歌」「ドナドナ」を歌い、全国で公演し、音楽センターを訪れた。この年、アメリカ全土をゆさぶったワシントンの黒人差別反対二万人の大行進でのフォーク・ソングの活躍を伝えた。そしてイギリスのオルダーマストンの核兵器禁止の大行進に参加して、歌を広めたことも紹介し、日本の「うたごえ」と共通の心で結ばれていることを強調した。
 また、「剣の舞」などで知られるソ連のアラム・ハチャトゥリアンも音楽センターを訪れ、鑑子、井上頼豊と懇談した。日本民謡に関心を持っていたハチャトゥリアンは、同席した寺原伸夫の「日本の夜明け」に注目し、彼の勧めで寺原はモスクワ音楽院に留学することになった。「各国の人民のしあわせに役立つために手をとりあって学びあおう」という考えは、ハチャトゥリアンも鑑子も、共通していた。
 この年八月から九月に、中国対外文化協会からの招待にこたえて、訪中日本合唱団を結成して行った中国公演、二月にはインドネシアの首都ジャカルタで開かれた新興勢力競技大会(オリンピックとは別のスポーツ大会)に中央合唱団の代表団が訪問し、その中で公演と交流を行った。公演から持ち帰った「ハローハローバンドン」は、一九五五年のバンドン会議(第二次世界大戦後に欧米列国の植民地支配から独立したアジアとアフリカの二九ヵ国が集まって、基本的人権と国連憲章の尊重、国家主権、領土保全などをうたった平和十原則を決めたアジア・アフリカ会議)を歌ったものであり、この公演は「日本のうたごえ運動」がアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの国々と交流していく始まりとなった。(以下略)
(三輪純永『グレート・ラブ 関鑑子の生涯』第6章)
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 「ハローハローバンドン」をはじめ、インドネシアや中国の歌が日本に入ってきたのは、中国やインドネシアで公演をするなど、1960年代、「うたごえ運動」の国際交流が活発に行われたことによるのですね。

グレートラブ
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