日記1988年9月──秋風さわやか 釣り場を想う

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1988年9月1日(木曜日)くもり
関東大震災の日
あのとき中学一年生で 屋代中学の教室にいた
炎天のなかを松代駅から 家路を歩いていた
暑かった

1988年9月9日(金曜日)
くもり 涼しい
アラゴンの『詩人たち』の「終曲」は、
老年の詩人が「明日の日の人びと」にのこした遺言であり呼びかけである。
   *
アラゴンの詩人としての発言の高さがそこにある。

1988年9月9日(金曜日)
初秋のすがすがしさ 晴れやかさ
   *
ニューシュを描いたピカソのデッサンに飾られたエリュアールの「豊かな眼」をふところに、戦争前夜の暗い新宿をさまよっていた「自然の運行」
戦後になって病気をしたり アラゴンやネルーダの紹介に忙しかったりして
エリュアールにはなかなか手がまわらなかった。それにはエリュアールの詩は難解で訳しにくい、あるいは翻訳不可能のようなところがある、などということもあったろう。とにかくわたしなりのエリュアール・ノート」が書けたのは「民主文学」が一年余にわたってそれを連載してくれたおかげである。ここに編集部に謝意をしるしておきたい。
 エリュアールをめぐっての評価・解釈にはいろいろあるが、わたしとしてはエリュアールがぞくした共産党の立場、党員詩人としてのエリュアールを中心課題に据えた。それにはアラゴンのエリュアール論が大きなささえとなった。ことばのニュアンス、とりわけ多義的な意味をもった言葉を訳すことはほとんど不可能である。

1988年9月10日(土曜日)
東伏見でラグビー・ジュニア戦
ワセダ・日体大戦 ホイッスル寸前 逆転して勝つ

1988年9月13日(火曜日)
秋の涼しさ始まる
遠きより声あり 忘却を呼ばう

1988年9月16日(金曜日)
赤木由子さんの葬式 禅林寺 盛大
(十三日夜 心筋コーソクにて死去)
積年の無理の結果なるべし

1988年9月18日(日曜日)
くもり
オクスフォード大対オールワセダ・ラグビー
国立競技場 三九対十五でワセダ敗北
スピードと体力 およびキックにおいて劣勢

1988年9月20日(火曜日)
くもり 彼岸
詩歌における政治離 政治恐怖 政治嫌悪について書く・・・
政治において
孤独な詩人たちも多数者の他者たちと結びつくことができる。そのとき詩人たちの孤独は消えさる。
詩人と他者と──

1988年9月29日(木曜日)
秋の長雨のあとの晴
秋風さわやか 釣り場を想う
   *
華やかなシュールレアリズムの旗手
ピカソの親友となり 「ゲルニカの勝利」をうたい 「自由」をうたい
レジスタンスのなかで共産党に入党し たえず人民の運命と革命をうたい
階級支配のからくりをあばいた

(日記1988年9月)

エリュアール

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