「エリュアール・ノート」が書けたのは

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一九八八年九月九日(金曜日)
初秋のすがすがしさ 晴れやかさ
   *
ニューシュを描いたピカソのデッサンに飾られたエリュアールの「豊かな眼」をふところに、戦争前夜の暗い新宿をさまよっていた「自然の運行」
戦後になって病気をしたり アラゴンやネルーダの紹介に忙しかったりしてエリュアールにはなかなか手がまわらなかった。それにはエリュアールの詩は難解で訳しにくい、あるいは翻訳不可能のようなところがある、などということもあったろう。とにかくわたしなりの「エリュアール・ノート」が書けたのは「民主文学」が一年余にわたってそれを連載してくれたおかげである。ここに編集部に謝意をしるしておきたい。
エリュアールをめぐっての評価・解釈にはいろいろあるが、わたしとしてはエリュアールがぞくした共産党の立場、党員詩人としてのエリュアールを中心課題に据えた。それにはアラゴンのエリュアール論が大きなささえとなった。
ことばのニュアンス、とりわけ多義的な意味をもった言葉を訳すことはほとんど不可能である。
(日記1988年8月〜10月)

*「エリュアール・ノート」は「民主文学」に1987年8月号から1988年8月号まで13回にわたり連載されたエリュアールの評伝。
これをもとに1988年11月、新日本新書「エリュアール」が出版された。

ニーシェ
ピカソ「デッサン」

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