ビュット・ショーモンの公園
わたしはパリにひとり旅
好きなパリも
ひとりぼっちでは地獄のようだ
毎日のように
コロネル・ファビアン広場から
右手に折れた坂道をのぼって
ビュット・ショーモン公園にゆく
門をはいると つきあたりの
ひおおぎのかげの岩のなかに
詩人のクロヴィス・ユグの小さな
胸像がそっと置いてある
パリ・コミューヌの詩人のおかげで
わたしは思い浮べるのだ
このビュット・ショーモンの丘で
数千のコミューヌが虐殺されたこと
それらの屍を焼く火葬の煙が
幾日も幾日もこのパリのはずれの空に立ちのばったことを
そんな血なまぐさい歴史をよそに
丘の斜面に 芝生はみどり
朱いべコニヤなども花咲き
老夫婦たちがベンチにいこう
大樹の下 地のまわりを
若いパリ娘たちが
大きな乳房をぶるんぶるんとゆさぶりながら
ジョギングしている
*
わたしは高い釣り橋の上から
池のなかの鯉たちに見とれる
藻におおわれた浅い水のなか
群をなして泳いでいる鯉たち
その鯉たちをめがけて
釣りびとたちが糸を投げる
パン屑や角切りのじゃが芋の餌(えさ)に
誘惑されずに泳いでいる鯉たち
わたしの心は魚影の濃い
多摩川の釣場へと走る
ビュット・ショーモンの鯉よ
さようなら 明日(あした)はもう多摩川だ
(『大島博光全詩集』)
わたしはパリにひとり旅
好きなパリも
ひとりぼっちでは地獄のようだ
毎日のように
コロネル・ファビアン広場から
右手に折れた坂道をのぼって
ビュット・ショーモン公園にゆく
門をはいると つきあたりの
ひおおぎのかげの岩のなかに
詩人のクロヴィス・ユグの小さな
胸像がそっと置いてある
パリ・コミューヌの詩人のおかげで
わたしは思い浮べるのだ
このビュット・ショーモンの丘で
数千のコミューヌが虐殺されたこと
それらの屍を焼く火葬の煙が
幾日も幾日もこのパリのはずれの空に立ちのばったことを
そんな血なまぐさい歴史をよそに
丘の斜面に 芝生はみどり
朱いべコニヤなども花咲き
老夫婦たちがベンチにいこう
大樹の下 地のまわりを
若いパリ娘たちが
大きな乳房をぶるんぶるんとゆさぶりながら
ジョギングしている
*
わたしは高い釣り橋の上から
池のなかの鯉たちに見とれる
藻におおわれた浅い水のなか
群をなして泳いでいる鯉たち
その鯉たちをめがけて
釣りびとたちが糸を投げる
パン屑や角切りのじゃが芋の餌(えさ)に
誘惑されずに泳いでいる鯉たち
わたしの心は魚影の濃い
多摩川の釣場へと走る
ビュット・ショーモンの鯉よ
さようなら 明日(あした)はもう多摩川だ
(『大島博光全詩集』)
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