九十九里浜闘争

ここでは、「九十九里浜闘争」 に関する記事を紹介しています。
九十九里

「海を見たい」と言われて昨日は「九十九里サンライズ」へドライブに。京葉道路から千葉東金道路を経て九十九里有料道路に乗れば、ほとんど一直線で太平洋に到達します。到達した地点に「国民宿舎九十九里サンライズ」があり、見晴らしのいいレストランで太平洋を見ながら昼食をとれるのです。
砂浜では親子連れやカップルが打ち寄せる波と遊び、平和な夏を楽しんでいました。

九十九里
九十九里
太平洋を望む九十九里サンライズ

この砂浜に米軍基地があったことが今朝の東京新聞千葉版に大きく書かれており、初めて知ってびっくりしました。
朝鮮戦争前後の時期、日本各地で米軍基地建設の企てに対して反対闘争が闘われたことを思い出します。内灘闘争(1953年、「内灘の歌」)、浅間山米軍演習地反対運動(1953年、小熊忠二ら信州の詩人が参加)、妙義山基地反対闘争(1953年、島田利夫が指導)、北富士演習場反対闘争(「富士のうた」)、砂川闘争(1955年)など。

九十九里では反対闘争は起きなかったのか?この記事では全く触れていないので疑問に思って検索したら、九十九里浜闘争という大闘争が1948年からあったのです。全国の反基地闘争の先駆けとなり手本となった闘争で、ウイキペディアにとても詳しく書いてありました。「新大漁ぶし」や「九十九里いろはかるた」「夜明けぶし-争議ぶし」も作られ、この反基地闘争が住民の生活と生存を守る闘いであったことが分かります。

東京新聞

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