大島博光の反核の詩──反核・平和運動の発展との関わり
「人類を数十回も全滅させうるほどの大量の核兵器が蓄積され、わたしたちは核戦争と「核の冬」が現実となりうる時代に生きている。核廃絶の道のほか、人類の生き残る道はないであろう。わたしはこれからも鳩の歌を、春の歌をうたってゆきたい。死を拒否して生きる悦びをうたい、生きる幸福をたたえ、生きる希望をかかげることこそが詩人の任務なのだから」大島博光はこう言って「鳩の歌」をはじめ反核と平和の詩を書き続けた。その最初の詩が1954年のビキニ事件を扱った「いきどおろしい春」である。
1)ビキニ事件と「いきどおろしい春」
1954年3月1日、米国はマーシャル諸島内・ビキニ環礁で水爆実験を行った。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなったのをはじめ、多くの人が深刻な放射能被害を受けた。
おお またしても いきどおろしい春
何も知らずに働く 漁師たちのうえに
だれのものでもない海のうえ 島々のうえに
おそろしい灰が降る 雨が降る
・・・
汚されたおとめたちだけでは足りぬのだ
七〇〇の基地だけでは足りぬというのだ
放射能の降る空よ 海よ 大地よ
・・・
(「いきどおろしい春 ──一九五四年の」)
ビキニ事件については「死んだ女の子」で有名なトルコの詩人ヒクメットも「日本の漁夫」を書いている。
ビキニ事件は社会に大きな衝撃を与えた。核兵器禁止の署名運動が始まり、日本中に広がった。署名は3200万筆を超え、反核運動の出発点となった。核実験をヒントにした映画「ゴジラ」が制作され、大ヒットした。米国は被害を隠そうとしたが、被害はきわめて広範囲で、半世紀後の現在も続いていることがドキュメンタリ映画等で明らかにされている。「放射線を浴びた『X年後』」(南海放送)や「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」(NHK)など。
2)原水爆禁止と被爆者擁護の運動が始まる
ビキニ事件をきっかけに被爆者が声を上げるようになった。翌年1955年に日本原水協が結成され、その次の年に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成され、組織的な原水爆禁止と被爆者擁護の運動が始まることとなる。こうした動きに応えて博光は1957年8月に「ひろしまのおとめたちの歌」を発表した。被曝した乙女の悲惨な様子を生々しく描き、原爆を告発している。
消えはしない 消えさりはしない
おとめのわたしらがくぐりぬけてきた
あの原子地獄の傷あと焼けあとは
わたしらの骨のなか血のなかに
からみつき むしばむ放射能は
いま 十年すぎた きょうの日も
・・・
わたしらのこころにもひなげしがあり
ひそかな期待にふるえる胸もあるのに
やけどの頬は ほほえんではくれない
ふく風になびく くろ髪もあるのに
ささやきをかわし 手を組みあって
五月の森へゆく こいびともない
炎の風にやかれた肌でわたしらは叫ぶ
もう原子地獄は わたしらかぎりに
もうきのこ雲は ひろしまかぎりに
そうしていま わたしらは見る
死の太陽を こばむひとたちの
ふりあげた 林のような手を腕を
(「ひろしまのおとめたちの歌」1957年8月)
3)アメリカのベトナム侵略戦争拡大とベトナム人民の勝利
1960年代、アメリカのベトナム侵略戦争が拡大し核兵器が使われる危険が高まる中で、「ベトナムを第二の広島、長崎にするな」をスローガンに日本でも運動がすすめられた。1974年4月、侵略者アメリカに対してベトナム人民が歴史的な勝利を収め、民族自決権の歩みを前進させた。
4)国際的な反核運動の高まりと「鳩の歌」
1980年代初頭、NATOがソ連に対抗してヨーロッパに中距離ミサイル・戦域核配備をすすめると、核兵器による戦争、ヨーロッパ全土壊滅への危機感がヨーロッパ諸国民の間に急速に高まり、反核運動が燃え上がった。オランダ、イギリス、イタリア、ドイツなどで数十万人規模のデモや「人間の鎖」が行われた。こうした国際的な反核運動の高まりのなかで、1983年から84年にかけて「鳩の歌」シリーズの四篇の詩が書かれた。
「鳩の哀歌」(1983年)、「鳩の歌」(文化評論1984年1月)、「斧はくるな──鳩の歌」(赤旗1984年2月16日)、「火をつけるな──鳩の歌」(民主文学1984年6月号)
わたしは鳩だから どこへでも飛んでゆく
風のように 世界じゅう 飛びまわっている
わたしの巣立った巣は ヒロシマ ナガサキ
ゲルニカ アウシュビッツ オラドゥール
わたしはそこで焼かれて 灰のなかから
不死鳥のように また 生まれてきたのだ
そこで焼かれた人たちが血と涙の中から
仰ぎ見た あの空の虹が わたしなのだ
わたしは大きな不幸の中から生まれてきたから
わたしのほんとうの名は 幸福(しあわせ)というのだ
わたしの名を呼んでいるところ どこへでも
わたしは三つ葉の小枝を咬(くわ)えて 飛んでゆく
赤ん坊に乳をふくませている母親の胸のなか
新しい朝を迎えた 若い恋人たちのところへ
ごらんなさい ボンで ローマで ロンドンで
うねっているわたしの波を 「人間の鎖」を
地獄の敷居にすっくと立って叫んでる人たちを
白いミサイルも赤いミサイルも まっぴらだ
この地球がまるごと ヒロシマのように
焼かれて 殺されて 瓦礫とならぬように
どんな毒矢も わたしを撃ち落せはしない
わたしは生そのもの 人類そのものだから
どんな絶望もわたしの翼を折ることはできない
わたしは 大きな死と闘うためにやって来た
わたしの またの名を 希望というのだ
わたしは大きな春と未来のためにやって来たのだから
(「鳩の歌」)
5)「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名が世界に拡がる
1985年2月、日本原水協を含む11カ国の反核団体がよびかけた「核兵器全面禁止・廃絶のために――ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動は、世界世論と運動の中で核兵器廃絶のコンセンサスを創り出す重要な運動となった。署名数は1千万筆を超え、世界の非政府組織が一致して国連に「核兵器廃絶を人類生存にかかわる第一義的課題として審議」するよう勧告する原動力となる。
このアピールに答えて「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」が書かれた。
きょう ヒロシマ・ナガサキから吹く風は
四十年後のいまも 怒り 呻き おらぶ
ヒロシマ・ナガサキに 涙はかわかない
四十年たったいまも その傷は癒えない
・・・
一瞬に 過去 現在 未来が吹っ飛んだ
生きながら 焼き焦がされた 子供たち
生きながら 襤褸の身となった 女たち
生きながら 蛆虫に喰われた 男たち
・・・
きょう ヒロシマ・ナガサキから吹く風は
虫けらのように 焼き殺された人たちの
その 燃えた血と涙のうえを渡ってくる
その 燃えた灰と骨のうえを吹いてくる
・・・
ヒロシマ・ナガサキの 熱い灰の中から
その名も希望とよぶ 不死鳥が 舞い立つ
大きな死とたたかう 鳩たちが飛び立つ
ヒロシマ・ナガサキから 世界じゅうの空へ
(「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」)
「人類を数十回も全滅させうるほどの大量の核兵器が蓄積され、わたしたちは核戦争と「核の冬」が現実となりうる時代に生きている。核廃絶の道のほか、人類の生き残る道はないであろう。わたしはこれからも鳩の歌を、春の歌をうたってゆきたい。死を拒否して生きる悦びをうたい、生きる幸福をたたえ、生きる希望をかかげることこそが詩人の任務なのだから」大島博光はこう言って「鳩の歌」をはじめ反核と平和の詩を書き続けた。その最初の詩が1954年のビキニ事件を扱った「いきどおろしい春」である。
1)ビキニ事件と「いきどおろしい春」
1954年3月1日、米国はマーシャル諸島内・ビキニ環礁で水爆実験を行った。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなったのをはじめ、多くの人が深刻な放射能被害を受けた。
おお またしても いきどおろしい春
何も知らずに働く 漁師たちのうえに
だれのものでもない海のうえ 島々のうえに
おそろしい灰が降る 雨が降る
・・・
汚されたおとめたちだけでは足りぬのだ
七〇〇の基地だけでは足りぬというのだ
放射能の降る空よ 海よ 大地よ
・・・
(「いきどおろしい春 ──一九五四年の」)
ビキニ事件については「死んだ女の子」で有名なトルコの詩人ヒクメットも「日本の漁夫」を書いている。
ビキニ事件は社会に大きな衝撃を与えた。核兵器禁止の署名運動が始まり、日本中に広がった。署名は3200万筆を超え、反核運動の出発点となった。核実験をヒントにした映画「ゴジラ」が制作され、大ヒットした。米国は被害を隠そうとしたが、被害はきわめて広範囲で、半世紀後の現在も続いていることがドキュメンタリ映画等で明らかにされている。「放射線を浴びた『X年後』」(南海放送)や「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」(NHK)など。
2)原水爆禁止と被爆者擁護の運動が始まる
ビキニ事件をきっかけに被爆者が声を上げるようになった。翌年1955年に日本原水協が結成され、その次の年に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成され、組織的な原水爆禁止と被爆者擁護の運動が始まることとなる。こうした動きに応えて博光は1957年8月に「ひろしまのおとめたちの歌」を発表した。被曝した乙女の悲惨な様子を生々しく描き、原爆を告発している。
消えはしない 消えさりはしない
おとめのわたしらがくぐりぬけてきた
あの原子地獄の傷あと焼けあとは
わたしらの骨のなか血のなかに
からみつき むしばむ放射能は
いま 十年すぎた きょうの日も
・・・
わたしらのこころにもひなげしがあり
ひそかな期待にふるえる胸もあるのに
やけどの頬は ほほえんではくれない
ふく風になびく くろ髪もあるのに
ささやきをかわし 手を組みあって
五月の森へゆく こいびともない
炎の風にやかれた肌でわたしらは叫ぶ
もう原子地獄は わたしらかぎりに
もうきのこ雲は ひろしまかぎりに
そうしていま わたしらは見る
死の太陽を こばむひとたちの
ふりあげた 林のような手を腕を
(「ひろしまのおとめたちの歌」1957年8月)
3)アメリカのベトナム侵略戦争拡大とベトナム人民の勝利
1960年代、アメリカのベトナム侵略戦争が拡大し核兵器が使われる危険が高まる中で、「ベトナムを第二の広島、長崎にするな」をスローガンに日本でも運動がすすめられた。1974年4月、侵略者アメリカに対してベトナム人民が歴史的な勝利を収め、民族自決権の歩みを前進させた。
4)国際的な反核運動の高まりと「鳩の歌」
1980年代初頭、NATOがソ連に対抗してヨーロッパに中距離ミサイル・戦域核配備をすすめると、核兵器による戦争、ヨーロッパ全土壊滅への危機感がヨーロッパ諸国民の間に急速に高まり、反核運動が燃え上がった。オランダ、イギリス、イタリア、ドイツなどで数十万人規模のデモや「人間の鎖」が行われた。こうした国際的な反核運動の高まりのなかで、1983年から84年にかけて「鳩の歌」シリーズの四篇の詩が書かれた。
「鳩の哀歌」(1983年)、「鳩の歌」(文化評論1984年1月)、「斧はくるな──鳩の歌」(赤旗1984年2月16日)、「火をつけるな──鳩の歌」(民主文学1984年6月号)
わたしは鳩だから どこへでも飛んでゆく
風のように 世界じゅう 飛びまわっている
わたしの巣立った巣は ヒロシマ ナガサキ
ゲルニカ アウシュビッツ オラドゥール
わたしはそこで焼かれて 灰のなかから
不死鳥のように また 生まれてきたのだ
そこで焼かれた人たちが血と涙の中から
仰ぎ見た あの空の虹が わたしなのだ
わたしは大きな不幸の中から生まれてきたから
わたしのほんとうの名は 幸福(しあわせ)というのだ
わたしの名を呼んでいるところ どこへでも
わたしは三つ葉の小枝を咬(くわ)えて 飛んでゆく
赤ん坊に乳をふくませている母親の胸のなか
新しい朝を迎えた 若い恋人たちのところへ
ごらんなさい ボンで ローマで ロンドンで
うねっているわたしの波を 「人間の鎖」を
地獄の敷居にすっくと立って叫んでる人たちを
白いミサイルも赤いミサイルも まっぴらだ
この地球がまるごと ヒロシマのように
焼かれて 殺されて 瓦礫とならぬように
どんな毒矢も わたしを撃ち落せはしない
わたしは生そのもの 人類そのものだから
どんな絶望もわたしの翼を折ることはできない
わたしは 大きな死と闘うためにやって来た
わたしの またの名を 希望というのだ
わたしは大きな春と未来のためにやって来たのだから
(「鳩の歌」)
5)「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名が世界に拡がる
1985年2月、日本原水協を含む11カ国の反核団体がよびかけた「核兵器全面禁止・廃絶のために――ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動は、世界世論と運動の中で核兵器廃絶のコンセンサスを創り出す重要な運動となった。署名数は1千万筆を超え、世界の非政府組織が一致して国連に「核兵器廃絶を人類生存にかかわる第一義的課題として審議」するよう勧告する原動力となる。
このアピールに答えて「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」が書かれた。
きょう ヒロシマ・ナガサキから吹く風は
四十年後のいまも 怒り 呻き おらぶ
ヒロシマ・ナガサキに 涙はかわかない
四十年たったいまも その傷は癒えない
・・・
一瞬に 過去 現在 未来が吹っ飛んだ
生きながら 焼き焦がされた 子供たち
生きながら 襤褸の身となった 女たち
生きながら 蛆虫に喰われた 男たち
・・・
きょう ヒロシマ・ナガサキから吹く風は
虫けらのように 焼き殺された人たちの
その 燃えた血と涙のうえを渡ってくる
その 燃えた灰と骨のうえを吹いてくる
・・・
ヒロシマ・ナガサキの 熱い灰の中から
その名も希望とよぶ 不死鳥が 舞い立つ
大きな死とたたかう 鳩たちが飛び立つ
ヒロシマ・ナガサキから 世界じゅうの空へ
(「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」)
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