なぜ歌い出さないか

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 なぜ歌い出さないか
                        島田利夫

 民主的な詩人達の間に度々〝抵抗”という言葉が操り返され、又その実践であるとみられる作品が現われている。だがそれ等の大部分が個々の日常生活の断片を、歌いあげるというよりもむしろ、一種の独白的(モノローグ)なつぶやきや、凝視といつた形で、表現しているのを見るとき、この事は現代詩のリズムの缺除とからみあう問題として、私達の前に呈出されてくる。
 戦前民主的な勢力に対する圧迫が強まつた時、多くの民主的な詩人達が抵抗を心の中に蔵いこみ、遂に沈黙してしまつた事実を、私達は身に泌みて知つている。多くの人達が現実の変革を希望している今、詩は単に汚い汚いと繰り返すのみで良いであろうか。多くの人々は汚なさには飽き飽きしている。私達は今汚なさに対する斗いの美しさを知り、知らせねばならない。この事は、詩をつぶやきから歌へ、凝視から行動へとひきあげる事を意味する。それは必然的に詩の上に新らしいリズムとなつて現われるだろう。
 現代詩にリズムがないのは、それが探しても見つからない為ではなく、内容そのものがリズムを必要とする程に高揚された感動を持つていないからだ。つぶやきや凝視はリズムを持つ資格がないのだ。
 歌が喜びであれ悲しみであれ怒りであれ、より高められた感動は、より鋭い現実に対する感度を必要とする以上、それは明日の社会への壮大なロマンと その為の激しい斗いの中からのみ生れるだろう。
 この時始めて個々の抵抗は大きな人民の力に支えられ、高められ、人民の抵抗の真の代弁者となるであろう。このことがなされぬ限り、個々の抵抗はやがて竹林の七賢人的な孤高の精神となりさがるだろう。
(『島田利夫詩集・夜どおしいっぱい』)

*この問いかけに答えたのが「歌いだせ一番鶏よ」(1951.1.1)になります。

夜どおしいっぱい表紙
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