ルイズ・ミシェル

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  ルイズ・ミシェル

 コミューンにおいて、もっとも英雄的にたたかった女性のひとりとして、ルイズ・ミシェルを挙げなければなるまい。彼女こそ、「コミューンの赤い処女」と言われたのであった。
 ルイズ・ミシェルは、一八三〇年、パリの南東、オート・マルヌ県に生まれた。彼女は、十八世紀ヴォルテールの合理主義(ラショナリズム)的思想とルッソーの感情主義的思想のなかで育てられ、一七八九年のフランス大革命にたいする崇拝のなかで成長した。
 彼女はパリに出て、小学校の教師となったが、帝政には反対で、共和主義的な教育をおこなう。彼女は共和主義者や社会主義者たちのクラブに出入りする。 彼女は、人民を解放するには、制度を破壊せねばならぬと考え、あらゆる権力に反対する。
 彼女はコミューンを支持したが、階級闘争にたいする理解が足りなかったために、コミューンの意義をただしく把みとることはできなかった。彼女は、あの生まれながらの、自然成長的な革命家だったのである。しかし、コミューンにおける彼女の活動と闘争とは、ユゴーが歌ったように、まさに「男まさり」で不屈なものであった。
 バリケードにおける死闘で、彼女は偶然に死をまぬかれた。戦闘が終わると、彼女は、自分の身代わりに捕えられた母親を放免させるために、ヴェルサイユ側にすすんで自首する。ヴェルサイユの牢獄に、ついでサトリー収容所にぶちこまれる。軍事法廷に立たされたルイズは、毅然たる態度をとって、ヴェルサイユ政府の虐殺を弾劾し、同志とともに銃殺されることを要求した。
 ルイズ・ミシェルの流刑の宣告の翌日、一八七一年十二月、ヴィクトル・ユゴーは、『男まさりに』という讃歌をルイズに書き贈った。しかし、ルイズがこの詩を読んだのは、十七年ものちの、一八八八年であった。ユゴーの讃歌は、きわめて調子の高いものである。
(つづく)
ルイズ・ミシェル

(新日本新書『パリ・コミューンの詩人たち』)

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