戦争をどう書くか ──ジャック・ゴーシュロンの詩「湾岸戦争を展望する岬」にふれて(下)

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 純粋詩と非純粋詩
 戦後における、純粋詩と非純粋詩との闘争は、フランスでは特殊な激烈なものであった。戦後、一九四六年から十九五六年にいたる時代は、開放のよろこびにひたるどころか、幻滅と反共と反動の時代であった。ドイツ軍の占領に代わって、アメリカ軍による占領が重くのしかかってきた。ソヴェトを封じ込めるマーシャル・プランとともに、冷戦が猛威をふるいはじめる。アメリカの露骨な帝国主義的干渉によって、一九四七年、時のラマディエ内閣からトレーズほか四名の共産党員閣僚がしめ出される。パリの街々の壁や橋のけたなどに、「アメ公出てゆけ」(U. S. go home!)のスローガンがかかれた。
 反共攻撃と中傷は、文化の分野では、アラゴンとエルザを標的にして激しくなる。その状況をエルザは書く。
 「……数年間の占領時代の遺産は重かった。〈解放〉はビフテキや石鹸や心の安らぎを一挙に返してくれる魔法の指輪ではなかった。おお、それどころではない。新たな闘いが始まったのだった。〈解放〉をめざしてわたしたちが操ってきた美しい舟が水平線のかなたに消えてゆくのを、わたしたちは絶望をもって見た。──信頼、友情、誠実、連帯、英雄主義の舟が……」(『交錯小説全集』九巻「幻滅への序文」)
 詩の世界における、レジスタンスの詩にたいする反共攻撃はとりわけ激しいものであった。それはレジスタンスの詩が、ドイツ占領下のもっとも悲惨な暗黒時代にも、希望をかかげて抗独闘争を呼びかけ、戦いたおれた英雄たちをほめ賛えたからである。この人民とむすびついた詩にたいして、抵抗の詩、状況の詩にたいして、反共主義者たちは、その権威を失墜させようと執拗な攻撃を加えた。レジスタンスの詩を歪曲し、抹消しようとしてジャン・ペリュという批評家は書く。
「……〈レジスタンスの詩〉などというものはない。それは一九四〇年以後のドイツ占領下に現われ、〈解放〉の翌日に占領とともに消えうせた、特殊な性質をもった詩の観念を言い表わそうとしたものである。それはフランス詩の歴史にあってはほんのつけたしのエピソードのごときものだ。純粋の表面に、歴史的な事件の渦巻きによって一瞬つくられた、いわばひとつのさざなみのようなものだ……」(『ウー口ップ』一九四七年七・八月号、ジャック・ゴーシュロンによる引用)
 こうして反動勢力の要求にこたえて、内面の詩、純粋詩への復帰、逆もどりが準備され、あらゆる種類の形式主義がもどってくる……ギィユヴィックのような詩人でさえも、内面世界へと後退し、一九八〇年末にはフランス共産党をはなれるにいたる。
 ゴーシュロンにとってもこの反動的攻撃との闘いは大きな試練であったにちがいない。彼は若い頃からアラゴンの近くにあって、その指導を受け、レジスタンスのなかでその青春を過ごした。レジスタンスの詩人のひとりとして、彼はこの問題についてつぎのような結論に到達する。
 ──真の詩の問題は、レジスタンスの詩が獲得したものを否定し、清算することではなく、そのすぐれた詩的遺産をうけつぎ、発展させることにある。
 戦後、ゴーシュロンはこの結論に立って、剛直にこれを実践し、発展させ、詩的追求をつづけた。レジスタンスから半世紀後、その追求と実践は、詩集『不寝番』に結晶する。この詩集の背後に、純粋詩と非純粋詩との闘争の苦い歴史的背景があったことに思いいたれば、この詩人が非純粋詩という言葉にひとしおの感慨を抱いていることも納得されよう。
(完)

(『民主文学』2002年9月号、詩集『不寝番』)

不寝番

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