ゴーシュロンからの手紙
『民主文学』(二○○二年九月号)に、わたしはフランスの詩人ジャック・ゴーシュロンの詩 「湾岸戦争を展望する岬」の拙訳とこの詩のもつ活力、この詩人の実践的な態度などを評価したエッセイ「『湾岸戦争を展望する岬』にふれて─戦争をどう書くか」を発表した。また、『詩人会議』の八月号、九月号、十月号にわたって、ゴーシュロンの長詩『ヒロシマの星のもとに』の翻訳を発表した。これはヒロシマの悲劇をいろいろな側面から追求した優れた構成詩である。
これら、ゴーシュロンについてのわたしのエッセイと訳詩が掲載された四冊を、パリ郊外のゴーシュロンのもとに、わたしは送りとどけた。日本語の活字が読めないまでも、彼の詩が日本の雑誌にのったことを知ってもらいたかったからである。するとつぎのようなゴーシュロンの手紙がとどいた。
詩人よ、友よ、
二日前、私はあなたからの贈り物を受け取ってびっくり仰天。
それら四冊の雑誌に、あなたは私の詩の翻訳を掲載する労をとってくれました。私は雑誌の名前さえ読むことができず、(日本語を)知らないで残念です……。
私を驚かせたのは、あなたの翻訳の仕事のす速さと、それが公表されたす速さです。ひとりの詩人がいて、はじめて、このようなパフォーマンスが実現したのです。
それについては私は何も言うことはできませんが、私の詩が、(日本語による)新しい体裁をとっても、その特質を失わずにもっていると、私は信じています。
あなたは私の詩「ヒロシマの星のもとに」を、おなじく「岬」の詩を、日本語に訳して私を悦ばせてくれましたが、さぞ苦労されたことでしょう……。
いま、アメリカの一大統領の狂気が、あの湾岸戦争をイラク戦争へと拡大し、続けて追求しようとしているこのとき、「湾岸戦争を展望する岬」は、不幸にも、ふたたびその辛辣なアクチュアリテをとりもどすのです。
世界中の、分別のある、理性的なすべての人びとが反対し抗議していますが、狂気は、他者の言うことを聞く耳をもたないのです。私の怖れるのは、新しい悲劇が着々と準備されていることです。
思えば、私たちは思想と詩によって、親密に結びついています。こうして私は世界の果てに、もうひとつの世界の果てに、ひとりの友をもっているのです。その友に私の感謝を送りたいと思います。
もしも批判的な意見などがありましたら、言ってください。次のお仕事にがんばってください。
二○○二年一○月二八日
J・ゴーシュロン
わたしは読んで、この手紙が彼の詩のように調子の高いものであることを見出した。手紙のなかで、彼は自分の詩について、その活力について言及している。
「アメリカの一大統領の狂気が、あの湾岸戦争をイラク戦争へと拡大し、続けて追求しようとしているこのとき、『湾岸戦争を展望する岬』は、不幸にも、ふたたびその辛辣なアクチュアリテをとりもどすのです」
この指摘は、わたしがエッセイのなかで述べたつぎの文面を簡潔に言い当てたものということができる。わたしはこう書いた。
「この詩の射程は長く、いまもその有効性を失っていなかった。この詩は、十一年後の報復戦争をも十分に照射している……」
しかもゴーシュロンは、そこに「不幸にも」という言葉をつけ加えることを忘れなかった。というのは、彼の詩がアクチュアリテをもつことは、人類が不幸のなかにあることを意味するからである。そしてその不幸の原因が、戦争追求者の狂気にあることを、彼は詩人のことばで 指摘している。
「世界中の分別のある、理性的な人びとが反対し抗議しているのに、狂気は他者の言うことを聞く耳をもたない……」
このことばほど、こんにちのアメリカの新帝国主義、「一国行動主義」の本質をはっきり照射しているものはない。
(ゴーシュロン詩集『不寝番』)
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