群馬の詩人・久保田穰さんのこと

ここでは、「群馬の詩人・久保田穰さんのこと」 に関する記事を紹介しています。
群馬の詩人・久保田穣さんは昨年12月21日ご逝去されました。

久保田穣さんは2009年4月、群馬の桐生から桜の咲く記念館へ初めて訪れ、記念館の様子をとても美しい詩にして、新聞に発表されました。(「信州松代」)

博光とは2回会っている、1回は博光が群馬を訪れたおりに宿を訪ねて会ったが、西条八十の話に及ぶと「小林多喜二も詩を沢山書いていて、その詩を評価したのが西条八十だった」と語っていたそうです。久保田穣さんは『群馬の夭折の詩人たち』で島田利夫について書いているので、島田利夫のことも話題になったのかもしれません。

1992年11月1日に前橋で開かれた「戦争に反対する詩人の会・群馬集会」では、久保田穣さんが司会をされ、博光が講演をしていますので、二人が会ったのはこの時でしょう。なお、この会は予想を超える盛況で、丸山亜季先生と群馬音楽教育の会の皆さんの「ぼくはパルファン川のうたごえをきく」「春が来たら」「自由」などの合唱もあり、たいへんな盛り上がりをみせて大成功となりました。新井隆雄さんが集会の実行委員と記録の編集委員を受け持ち、増岡敏和さんが詩の朗読、鈴木初江さんがアピールをしています。
この集会で活躍し、記念館を応援された4人の方(新井隆雄増岡敏和丸山亜季・久保田穣)が昨年にかけてご逝去されたことは大変残念です。
「戦争に反対する詩人の会・群馬集会」については別の紙面であらためて紹介します。

久保田
左から二人目が久保田穣さん(2009年4月)
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