『エルザの狂人』解説(第一章 グラナダ GRENADE)

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『エルザの狂人』解説

(第一章 グラナダ GRENADE)

 『エルザの狂人』は、六つの章と一つのエピローグから成る。全体では、詩と散文などおよそ二百の断章から成り、終りには、ここで使用されているアラブの表現についての説明、および歴史的、文献学的、哲学的な重要な用語集が置かれている。

 序文と最初の歌には、この作品が書かれることになる状況が描かれている。
 最初の章は、北アフリカからやってきて、スペインを征服したムーア人たちのグラナダを、イスラム独特の相のもとに描いている。その社会では、すべての階級にわたって、ひとびとは詩作や文学にたいして旺盛な愛好を抱いていた。
 ボアブディルの肖像は、崩壊する小さなグラナダ王国の最後の王として描かれる。それはカスチリアが宣伝に用いた「ちいちゃな汪」Key chico というイメージには意を介さない。
 青年はそこではすべての王におけるように、二十歳になると暴力に走り、口づけを求め、若者の血気で神や愛を否定する。(「ちんぴらの歌」を参照)ムーア人の若者たちと現代の黒皮のジャンパーを着た街の不良たちとの類似は偶然ではない。「ファキル」Fakirというアラブの大衆扇動者は、スペイン・イスラムの反動的傾向を象徴する。
 ケイスすなわち狂人マジュヌーンが登場するのは、布地の市場アルカイセリアにおいてである。(マジュヌーン(狂人)とはケイスに与えられたあだ名である。)作者ジャミが『マジュヌーンとライラ』のなかで歌ったように、マジュヌーンは市場で恋人エルザをうたう。しかし彼は先人たちの叙情的伝統をうけつぎながら、その革新を試みる。

アンダルシアのマジュヌーンは大膽にも われらの詩的伝統とは逆に
無宗教者イブン・バジジャの創始した「歌(ザジャール)」という世俗的な歌を採用して
彼は黒い石の道を知らない崇拝者として
その鼻もちならない崇拝をイスラムに無縁なひとりの女に捧げる

このマジュヌーンの愛とはどのようなものであろう?女性を崇拝し、神に捧げるとは、異端ではなかろうか?この社会の敬虔な虚無が、数世紀以来、人間を疎外してきたことを詩人は暴く。その疎外をさらに助けたのは、偽善が高尚な理念や感情によって飾られ、ドグマによる支配権力の仮面のかげに守られてきたことである。

……ではきみは知らないのか きみの生きるこの世界が むかしから永遠に敬虔な虚偽のままだということを……あのひとびとの幸福を盗みとる奴らやひとびとの夢をふみにじる奴ら 飢餓をつくりだす山師どもや隠れた放蕩者ども 高利貸や牢獄の看守ども 売春宿のおやじどもやひとの肉体と汗を売る奴ら 合法的にひとを拷問にっける奴ら 暗殺者どもや王侯ども あるいは宮廷や戦争やどんちゃん騒ぎでちょっとばかり儲ける小者ども ああ やつらがその高尚な感情 寛大な心 隣人や民衆への神の愛を並べて見せる、その手助けをきみはしているのだ しかも善意の仮面の下にかくれた悪臭を放つ汚らわしい「野獣」も顔をあばきうたうひとりの歌い手いないのだ……」(「人生と呼ばれるこのグラナダ」)

 マジュヌーンの歌は、彼につき従う少年ザイドによって集められる。ザイドはそれぞれの詩に註釈をつけて、その寓意を示し、あるいはアラゴンとエルザの個人的な生活とのかかわりを明らかにする。
(つづく)

<自筆原稿>

 第一章 グラナダ GRENADE
・巻頭の歌 CHANT LIMINAIRE
・チンピラの歌
・人生と呼ばれるこのグラナダ CETTE GRENADE APPELEE VIE
・鏡 LE MIROIR
・讃歌のなかの讃歌 Cantiques des Cantiques
・座る場所の詩章 STROPHES DES LIEUX OU S'ASSEOIR
・火 LES FEUX

エルザ

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