多摩の川波

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 多摩の川波
                 大野紫楊(大野貞純)

 西郊多摩の清流は、鮎漁に、蛍狩に、殊に夏期に於ては花火その他の催し物によつて絶好の納涼地として名を挙げてゐる。まことに都人の一日の清遊に最適の勝地である事を失はない。
  世は遷り、人は変り、河床も又移ろふて幾星霜、今も猶言ひ知れない懐しさを輿へて呉れる多摩のながれ、そのせゝらぎに古への物語りなど尋ねて、其所に此所に、爽快な川風を胸一杯に享け乍らさまよふ事にしやう。
 西多摩郡雲取山の奥深くその源を発して、柳澤川、黒川の渓流を合せ、流れて日原川、丹波川を併せて幹流となり、奥多摩の山間に峡谷を形成して流れること約十五里に及び、秋川、浅川と合流して青梅町附近で平地に出て、紆余曲折時に細流に岐れ 又は深々の碧潭を成し、蜿々三十有餘里武蔵野の南邊を潤ほし、その砂土質の沿岸は水田、果樹栽培に適し、多摩川梨又は桃は東京人の味覚に親しいものであらう。その上流奥多摩の山地に於ては数多くの登山者の眼を楽しませ、或は疲れた咽喉を喜ばせ下つては導かれて市民に命の量を捧げる水道に用いられる多摩の浄水に私達は心から感謝を送らうではないか。又川原の砂利採取も昔時から行はれて玉川砂利として餘りに有名である。

 本流は東京市蒲田区と神奈川県川崎市との境堺あたりより六郷川と称されて.羽田から東京湾に注いでゐる。
 さて多摩の美しい名称の起りであるが、その上流の丹波川から転化してタバ川と呼ばれそれが後にタマ川と言はれる様になつたのであると言ふ。本誌前月号に於て紀埜生氏が、武蔵国の起源に就いて朝鮮語の苧(ムサ)より来てゐるらしいと述べられた記事を興味深く讀んだが、同じ説を称へられる鳥居博士が此のタマの語源に就いても、蒲田(カマタ)や、塵埃〔ゴミ)が蒙古語のゴビより転化したのである等、ハ行がマ行に欒化する実例を引證されて面白く書いて居られる。昔は太婆と書いた時代もあるらしく、又東鑑には多磨の字を用ひてゐるとの事である。
 上古我が国に帰化して関東に居住した高麗人によつて製布の業が伝へられ、古代武蔵の重要な産業として盛に行はれたのであるが、清冽な多摩の水がその晒布を行ふに適した為多摩川の沿岸には殊に発達したらしい。
 高麗族の移住に就いては、埼玉の高麗郡(今の入間郡の一部)の遺跡は有名であるし、同じく紀埜生氏が先月号に於て詳しく紹介なさつてゐる所である。猶府下北多摩郡に狛江と言ふ地名が残つてゐる。勿論之らも高麗人と関係を持つべきものであらう。又古文に狛江の池と言ふ文句が見えてゐるさうである。今の井之頭池を昔狛江の池と言つたのではないかとも説かれてゐるが、どんなものであらうか。上古此の附近に布を多く産した事は、今に調布、布田等の地名が残つてゐる事によつてもうなづけるであらう。調布と言へば、砧村の名も因縁探さうに響くではないか。調布村には昔布を製するに用ひた臼、杵などが今に伝へられてゐるさうである。悠々と生活の圧迫を知らず、安静なくらしを営んで居つた当時の人達が、調布の唄を口ずさみ乍ら、清い流れに布を晒す姿など、思つても懐古の情にうたれる嬉しい風景ではないか。
 「此の川の流れの末は何處までも布を流さば海まで」物静かな流れを渡る布晒唄の優美な音調さへ思はれるではないか。
 「あの子はやれ紅屋の子やれいつも變らぬ紅絞りさらし手拭ひいくつ染めた云々」の唄等は比較的新しい(徳川時代か)ものであらう。
 顧て現今の姿を眺めれば、大東京の市域は拡張され、最早大都會の面影をその小波に映し、數條の橋は架けられ、鐡道は容赦なく跨ぎかけ、往時の景色を兎もすれば忘れさせやうとしてゐるが、数多く残された神社佛閣、そしてその床しい伝説縁起物語など、或は嬉しい土地の名称等によつて十分過ぎし昔を偲ぶ事が出来る。最近風致区域に指定されて、その風光が保存されるべく計画されてゐるが其處に、伸びて行く都市の進展に伴つて自ら生ずる悩みがあるのではあるまいか。
 世田谷区の等々力町とは、早瀬の鳴り渡る印象から付けられた名前であらうか。二子玉川の二子とは、二つの塚があつた事から名づけられたとも言はれてゐる。さうすると、丸子もやつぱり塚の形容から来たものであらうか。
 又此の沿岸の下流一帯に石器時代の遺物に富んでゐる。大森、馬込、綱島等は貝塚、古墳などが豊富に残ってゐて、往時の住民の消息をわずかに物語つてゐる。
 西に富士の秀峰を仰ぎ、北に武蔵野の丘々のゆるやかに起伏するのを一望に収め、江戸の市街を離れること四里の徳川時代の此のあたりは、古梅垣に薫り、川水穏やかに陽光を泛べ、点在する年経た構への家々、そして歌詠む翁の足どりもゆるく遊ぶ眺め等が好もしく目に浮んで来るではないか。
 喪はれることの無い自然の持つ清純さを讃へつゝ、古人の言葉を以つて去りし頃の風景を懐かしまう。

  むかしより むかしの人の戀しきや
  なそかへりこぬ 玉川の浪
                 (『土地の知識』 昭和10年9月号所載)

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